
たまたま会話が始まり、日常会話で盛り上がった人がいます。雰囲気も悪くなかったので、「じゃあ東京に来た時に食事に行きましょう」という流れになりました。
因みにマッチングアプリではありません。だからなおのこと「は?」と思った出来事です。なんだろうキャバクラでウケていると勘違いしている話題を、日常でもウケると思っているのでしょうか。あれはあちらが仕事だから盛り上がっているのに。
その後相手からおしゃれなレストランのリンクが送られてきて、話題はファッションへ。「どんな服で来ます?」と聞かれたので、私は「その日の気分で決める」と答えました。
すると返ってきたのが、
「女性らしくて、少しセクシーな格好を希望します」と来た・・・・
その瞬間、私のスイッチはカチーン!思わず「じゃあジーンズとライダースで行きます」と返してしまいました。
さらに「人に決められるのは苦手なの」と伝えると、返ってきた言葉は、
「Kumacoさんは少しSタイプかな(笑)」
多分、外見からとはっきり答える性格から、そう判断されるのでしょう。この時も軽く交わした後、まだ同じような質問が続いたので、「そういうことに興味はない」とはっきり言いました。
外見で判断される「S」というラベル
私がいつも「Sタイプ」と言われるのには理由があると思います。見た目の印象と、はっきり物を言う性格から、そう判断されるのでしょう。
でも、それってつまり相手は「見た目」と「その場の反応」だけで、私という人間を勝手にカテゴライズしているということです。本当に浅い。
この時も、最初は軽く交わしたつもりでした。でも相手はそれでやめずに、同じような質問を続けてきます。仕方なく「そういうことに興味ない」とはっきり言わざるを得ませんでした。
なぜそんなにS?M?を聞きたがるのだろう
この手の質問は、本当によくされます。恋愛の潤滑油?距離を縮めるつもり?でも実際は唐突で浅くて、距離が縮まるどころか「わかってないな」と思ってしまうのです。
まるでアンケートに答えるように「AタイプかBタイプか」を聞かれても、人間ってそんなに単純じゃない。特に、たまたま会話が盛り上がっただけの相手から、いきなりそんなプライベートな質問をされても、正直に答える気にはなれません。
答える配慮を勘違いする人たち
会話を壊さないように笑ってごまかしたり、とりあえず流すために軽く答えることもあります。でも、それは嫌です苦手ですということがわかるような軽い答え方をしているのです。
それを「楽しんでる」と勘違いして、質問がどんどんエスカレートしていく人もいる。その先に下ネタが待っていることも多くて、本当に不愉快です。
こちらが明らかに嫌がっているサインを出しているのに、「興味がある証拠」と受け取られてしまうのは、とても残念なことです。大人の女性として、場の空気を読んで対応しているだけなのに。
感じ合うものを言葉で聞く矛盾
私は思うのです。SとかMとかって、事前に聞くもんじゃなくて、感じ合うものだと。
SとM…こんなに複雑で未知で面白いのが人間なのに、2パターンにしか分けないなんて失礼だわ(笑)きっともっとミステリアスで未だわからないことだらけだもの。自分のことすら未だよくわからないのにSかMなんてもっとわからない。思い込んでる、思い込まされた人もいるかもしれない。新しい自分発見みたいに、ある日突然変わるかもしれない。
SとMの解釈の浅さと本質
しかも「S=女王様」「M=従順」とか、短絡的すぎます。本当はもっと奥深い意味があるのに。
Sは相手を感じ取り、相手を喜ばせるためのサービス精神でもあるし、Mはただの受け身ではなく、信頼の上で委ねる勇気でもある。その本質を見ずにラベル遊びにしてしまうのは、ダサいとしか言いようがありません。
深い関係性の中で育まれる繊細な感覚を、まるでゲームのキャラクター設定のように扱われても困ります。
本当の意味での感じ合いは、言葉で説明できるものじゃない。お互いの呼吸や、微細な反応を大切にしながら、時間をかけて育てていくもの。それをアンケートのように聞かれても、答えようがないのです。
相性は育てるもの
もちろん「事前に知っておきたい」「相性を確認したい」という人もいるでしょう。それは一つの恋愛スタイルだし、知りたい者同士ならそれでいいと思います。
でも私は興味がない。相性は「事前に決まっているもの」じゃなくて、関わりながら育てていくものだと思っています。
最初はよくわからなくても、時間をかけて相手を知り、自分のことも知ってもらって、その過程で生まれる化学反応こそが面白いのではないでしょうか。
ファッションだって同じ
ファッションだって同じです。「あなたにはこれが似合う」と決めつけられるより、その日の気分で、自分で選ぶのがいちばん心地いい。
体調も気分も、その日の自分の状態は毎日違います。昨日はフェミニンな気分でも、今日はかっこいい服を着たい気分かもしれない。それを外から決められてしまうのは、とても窮屈です。
「女性らしくて、少しセクシーな格好を希望します」なんて言われた瞬間、私の中の反骨精神が頭をもたげました。誰のための格好なの?私が着たい服じゃダメなの?
指示と好みの大きな違い
面白いことに、もし好きな人が「髪が長い人が好み」って言ってたら、私は全然伸ばしますよ。セクシーな服が好きって言ってたら着ますよ、全然着ますよ。
でも「髪を伸ばして」「これを着て」と指示されたらやりません。
同じ結果でも、自分で選んだのか、相手に決められたのかで、気持ちが全然違うんです。前者は自分の意志で行動してるから。後者は命令されてる感じがするから。
相手の好みを知って「それなら私もやってみたい」と思うのと、「こうしろ」と言われるのは、雲泥の差です。
自分で感じる自由
私が大切にしているのは、自分の感覚です。その場でどう感じて、どう選ぶか。それを信じることこそ、私にとってのスピリチュアルなのです。
相手を本当に感じ取ろうとする人、微細な変化に気づいてくれる人、言葉にならない部分を大切にしてくれる人。そういう人となら、SもMも関係なく、自然に心地よい関係が生まれると思うんです。
SかMか、セクシーかカジュアルか。そんなラベルを貼られることに価値はありません。
人に決められた「正解」を演じるより、自分の心が動く方向を選ぶ。それが私にとって一番自然で、一番美しい生き方です。
だから私はジーンズとライダースで行く
結局その食事は、お互いの価値観の違いが明確になって、自然にフェードアウトしました。それでよかったと思っています。
最初から無理に合わせていたら、きっと続かなかったでしょう。自分らしくいることで、本当に合う人とそうでない人が分かれる。それは決して悪いことではありません。
だから私はジーンズとライダースで行く。それが私の自由であり、私のスピリチュアルです。
自分の感覚を信じて、自分らしく生きる。相手に合わせるのではなく、ありのままの自分で勝負する。そんな生き方を続けていこうと思います。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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