
もし私がいなくなったら、ひとつだけお願いがあります。
私の写真を使って、懐かしい思い出のような投稿はしないでほしいなと思っています。
きっと偲んでくれたり、思い出してくれたり、優しい気持ちからシェアしてくれるんだと思う。
でも私は、それを望んでいません。
思い出は、それぞれの心の中に置いておいてほしい。
静かに、その人の中だけで私を思い出してくれたら嬉しい。
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今はSNSが日記みたいになっていて、私もVlogのように毎日の記録として投稿しています。
出会った人との写真も、自分のスマホの中だけじゃなく、いろんな人のフォルダの中に残っている時代です。
便利であたたかい時代だけど、同時に「自分の姿が、どこまでも残り続ける時代」でもあります。
テレビで流れる悲しい事件や事故の報道を見ながら、亡くなった方の顔写真が映るたびに、もし自分だったら出してほしくないなと、いつもどこかで感じていました。
こうやって実生活でもネットの中でも、たくさんの人と出会えたことは本当にありがたいことだと思っています。
だからこそ、私の思い出は、いなくなったあとに投稿という形で広げなくていいと思っています。
だって私はもう、そのとき「やめて」と言えないから。
私の家族もそれは望んでいないと思うから。
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いついなくなるかなんて本当に分かりません。
事故かもしれないし、病気かもしれないし、突然かもしれない。
いなくなったあと、私はもう何も伝えられません。
だから、生きている今のうちに言葉にしておきたいと思いました。
そして最近は、もうひとつ強く思うようになりました。
「あれやればよかった」
「言っておけばよかった」
そういう後悔を、できるだけ減らしていきたい。
だから私は、伝えたいことは先に伝えるし、残しておきたい気持ちは今のうちに言葉にする。
このお願いも、そのひとつです。
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これは感覚の話ではなく、実はもう社会的な問題にもなっています。
InstagramやFacebookを運営するMeta社には、亡くなった人のアカウントを「追悼アカウント(Memorialized)」として残す仕組みが公式に用意されています。
つまり「人が亡くなったあとも、投稿や写真は消えずに残る」という前提で設計されているということです。
(出典:Meta公式ヘルプ 追悼アカウント機能)
Googleにも、一定期間ログインがない場合にデータの扱いを事前設定できる「Inactive Account Manager」という機能があります。
(出典:Googleアカウント管理機能)
さらに「デジタル遺品」「デジタルレガシー」という言葉もあり、亡くなった人のSNSや写真データが家族や社会にどう影響するかを研究する分野もあります。
(出典:Öhman & Floridi(2017)情報社会におけるデジタル死後データ研究)
亡くなった人の写真を見ることで、残された人の心が救われることもあると言われています。
でもそれは「残された側の気持ち」の話であって、「本人がどうしてほしいか」とは別の話。
だからこそ、私は自分のことは自分で決めておきたいと思った。
特別な主張でもなく、思想でもなく、ただ私の小さな希望。
思い出は、心の中だけで。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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