
前回のブログで「変化=そのままの自分を信じられるようになること」と書いたあと、もう一つだけ自分の中で動いたことがあった。
それは、
自分を信じることと、自分を好きになる(愛する)ことは、私の中ではまったく別だった
という気づき。
私は、自分のことがあまり好きじゃない
いいところより、嫌なところのほうがすぐ出てくる。
ヒステリーになる日もあるし、父や兄に腹が立つ時も多いし、年に数回のお酒で酷い二日酔いをして自己嫌悪になるし、外見にも内面にもコンプレックスが多い。
「全部まるごと愛してあげよう」とか「自分を好きになろう」とか言われても、その感じがどうも馴染まない。
好きじゃなくても、信じることはできた
それでも、「信じる」という感覚だけはすっと残った。
好きじゃない自分でも、嫌いな部分があっても、
今日の自分が選ぶことなら、とりあえず信じて進む。
ただそれだけの感覚。
そこに”好き”や”愛する”は必要なかった。
嫌なら、動く
どうしても嫌だと思った部分は、直したいなら直す方向に動く。
うまくいってもいかなくても、動いてる自分は嫌いじゃない。
それだけで十分だった。
3年前の「セルフラブ」はまた別の話
コンテストで話した「セルフラブ」は、大切な人を守るために、自分のケアを後回しにしないという意味だった。
それは今も変わらないし、むしろ前より強い。
でも今回の**”自分を信じる”は、それとは別のところにある。**
過去と結びつけなくていい
自分を好きになれない理由を、昔の出来事やトラウマや前世とつなげる感じも、私はしっくりこない。
過去でも未来でもなく、ただ”今”の私を見ていたい。
いまの感覚
自分を愛せるかどうかは置いておいて、好きになれる日が来るかどうかもわからないまま、
それでも今の私は、「今の自分」を信じている。
嫌いなところはあるけれど、必要なら直そうと思って動くし、その動く自分は悪くない。
私にとっての「信じる」は、それくらいの距離感のもの。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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