
福島での挙動不審まとめ
福島に行ったときのリール撮影。 駐車場でコーディネートの説明を撮ろうとしたら、人や車が意外と通る。 そのたびに慌てて中断して、何事もなかったようにスマホを下ろす。 結局10テイクくらい撮り直した”挙動不審まとめ”ができあがった(笑)。
そのリールに「一目を気にせずやってるイメージでした」とコメントが来て、思わず笑ってしまった。 うん、そのイメージも想定済み。 「堂々と強く見える私」って思われることは、実際よくあるから。
本当は真逆な私
でもね、ほんとは真逆。 東京の友達と旅行したときも、浴衣の着付け代がHPでは3,000円、電話では3,800円、当日支払いはなぜか5,500円…(笑)。 「え?」と思っても、なにも言えずそのまま払っちゃう。 予約の電話も苦手で、できるだけネット予約にするし、家族以外からの電話は出られないこともある。 そんな私が、どうして”強い女”に見えるんだろう?
考えてみたら、車の中で動画を撮るようになったのも「人に迷惑をかけたくない」「自分だけの個室だから安心」という理由だった。 つまり、根っこには「自信のなさ」がある。 だからこそファッションやメイク、髪型で変化したり、時には演じたりしてきたのかもしれない。
外から見える私と、内側の私
それでもSNSでは「ポジティブ」「なんでもできる」「サバサバ強い女」って思われがち。 正直、「まじごめんなさい」って思ってる自分もいる。 強い自分をアピールしてるつもりなんて1ミリもないのに、そう見えちゃうのが怖くなることもある。
ちょっと複雑な家庭環境で、正直毎日「くそー」とか「腹立つ」とか愚痴だらけ。 でも同時に「thank you」って感謝もあって、感情はジェットコースターみたい。 長引く体調不良で寝込むことも多いし、根っから楽しんできたわけじゃない。 でも、外からは「強くて人生楽しんでる人」って思われる。 そのギャップに「ごめんなさい」って思うこともある。
セミコロンからLight Upへ
でも今は思う。 強い私も、弱い私も、堂々も、挙動不審も。 ぜんぶ含めて「私」なんだって。
セミコロンは、そんな乖離状態の心への負担の象徴だったのかもしれない。 「死のう」ではなく「私が死んだらどう思う?」という言えない心の声。 言葉にならなかった表現方法。 でも今は、続きがある物語としてLight Upにつながっている。
Light Upは区別しない・ジャッジしない。 「強い私」も「弱い私」も、「明るい私」も「暗い私」も。 過去と未来を統合して、ひとつの光に変えていく。
ファッションやメイクは、その最たるものだ。 未来の理想を演じるんじゃなくて、 「今日の私はどんな私になろう?」と選ぶこと。 それがマインドフルドローワであり、私のLight Up。
今日の私を選ぶ生き方
本当の私なんて探さない。 生まれてきた意味も深く考えなくていい。 自分探しなんて、正直めんどくさい(笑)。
大切なのは「今日の私」。 今日どんな私になろうかと選ぶ、その一瞬一瞬が、Light Upそのものなんだ。
現在の自己受容ブームの中で
2025年現在、SNSでは「ありのままの自分」「自己受容」というメッセージがよく見られます。でも時として、それさえも「こうあるべき」という新たなプレッシャーになることがあります。
本当の自己受容は、もっと自然で軽やかなもの。今日は強い私、明日は弱い私、そんな風に日々変化する自分を楽しむこと。それが真の自由なのかもしれません。
セミコロンという辛い時期を経験したからこそ、今は「すべての私を受け入れる」Light Upという考え方にたどり着けました。過去の痛みも、現在の迷いも、すべてが今の私を形作る大切な要素です。
Light Upという生き方
Light Upは区別しない・ジャッジしない。 「強い私」も「弱い私」も、「明るい私」も「暗い私」も。 過去と未来を統合して、ひとつの光に変えていく。
この考え方は、毎日のファッションやメイク選びにも表れています。「今日はどんな私になろう?」と選ぶとき、それは演技ではなく、その瞬間の自分の気持ちに正直になること。
挙動不審な私も、堂々と見える私も、どちらも嘘じゃない。その時々の状況や気持ちに応じて現れる、私の一部分なのです。
これからも「本当の私探し」に疲れることなく、「今日の私選び」を楽しんでいこうと思います。それが私らしいLight Upの生き方です。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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