
わたしのコードは、生まれたときからあった
グラウンディングのとき、わたしがいつも見ていたイメージは、尾てい骨から”ぶっといケーブル”が大地に向かって伸びていく光景。地球としっかりつながって、下に下に引っ張られていく感覚。
だけど、いつもどこかでこう思っていた。
グラウンディングって自然とつながることなのに、どうしてわたしは”電気のケーブル”みたいなものを見てるんだろう?
その違和感はずっとあった。
でも、あるときふと気づいた
それは「脳の翻訳」だったんだ。
潜在意識のわたしは、本当は”血管”や”内臓”のような、もっとも自然なコードを見せていた。だけど、今のわたし──生まれてから外の世界を見せられてきた顕在意識のわたしは、それを知らない。だから、知っているもので置き換えた。”電気ケーブル”という形に。
本当は、あの”ぶっといコード”は、わたしの身体そのものだった。
内臓かもしれない。血管かもしれない。もっとも自然で、もっとも人間的な、源の構造物。
脳はちゃんと見せていた。だけど、生きてきた中で目で見てきた記憶と体験で、わたしの意識が「人工的」と誤認しただけのこと。
わたしたちは、生まれたときからすでに持っているの。でも忘れているか、消してるか、見てないか、気づいていないだけ。
だから、スピリチュアル的な浄化やヒーリングも、”何かを得るためにお金を払って行うこと”のように思ってしまう。
でも、それはすでにわたしたちの中にある力。外へ向かわなくていい。自分で自然に解決できるものだから。
無理やり、辛いものを引っ張って、今の自分に見せなくてもいい。きっとタイミングがくれば、身体から離れていく。最後にふっと香りを放って、静かに離れていくこともある。
Light Upとは
「Light Up」と聞くと、電球にスイッチを入れるような、わかりやすいイメージがあるよね。わたしも実際、アイコンを電球とケーブルで作ったことがある。それは、目で見て知っている世界の表現方法だった。
でも本当は、Light Upするのはわたしの身体そのもの。
なにかするから点くんじゃない。自分の体の能力の素晴らしさに気づいてあげたとき、わたしの体が光を放つ。それがLight Up。
ツインコードという存在
その気づきのスイッチを入れるきっかけになるのが、共感する仲間の存在かもしれない。ツインコードは、愛する人かもしれないし、なぜか通じ合う友人の形かもしれない。
感覚が似ていて、同じ話題で共感できて、否定もなく、自然に「そうそう、そうなんだよね」って言える。無理のない共鳴。
それが、ツインコードだと思う。
ツインコードとの出会いで、コードが繋ぎ変わるとき、自然と古いものが消えていくこともある。
わたしが光るということ
Light Upするときって、よく「生き生きしてる人って輝いてる」って言われる。本当にそれにつきると思う。
輝こうとしている人って、見てる側に違和感がある。自分らしくないものを頑張って通そうとしていたり、無理やりポジティブに見せようとしていたりすると、その”つくった光”は、どうしても伝わってくる。
でも、周りの友達が自立して生き生きしてるとき、きっとそれは、わたし自身も今Light Upしてるということ。
光ろうとしなくても、わたしはもう光ってる。ただ、そのことに気づくだけでよかったんだ。
人間だもの。そのままでいいんじゃない?
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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