
今朝の夢の記録──器の中のわたしと、それを見る視点
夢の断片
大きな木造の家が、地震でパタンパタンと折り畳まれるように倒れていった。
私は背中の手術を受けるために、何かの説明を聞いていた。
そのあと、学校の玄関前にある園庭で、ダンスの確認をしていた。
今朝は、起きてからかなり時間が経ってしまい、夢は断片的にしか思い出せなかった。
グラウンディングで感じた器の感覚
それでも、グラウンディングとセンタリングを試みると、前回よりもさらに鮮明な感覚があった。
前回は、グラウンディングの途中で自分の体が「器」に感じられた。今回は、最初から「器の中のわたし」が存在していた。
人の形をした器のなかに、白い煙のような”わたし”の身体がモヤモヤと動いていて、その器の上には、クラゲのような生き物が浮かんでいた。
そして私の視点は、そのモヤモヤでもクラゲでもなく、**「それを見ている誰か」**だった。
夢のリーディング
木造の家が折りたたまれる夢
古い「構造」が崩れていくサインかもしれない。長年守ってきた考えや安心領域が「揺れる」ことで、必要な変化が始まっている兆し。
背中の手術
スピリチュアル的には「背中」はサポート・支え・信頼に関係する。そこにメスを入れるというのは、新しい支え方や信じ方の再構築かもしれない。
器の感覚とクラゲ
魂や本質が、まだ物質化されず”浮遊”している状態。クラゲは透明で繊細だけれど、漂いながらも自律している象徴。
そして何より、「それを見ているわたし」の視点こそが、いま最も大事なところ。
三つの存在
見ているわたし = 中心のコード
器のわたし = この次元の表現体
クラゲのようなもの = 繊細な生命の象徴
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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