
ヴェーダ占星術を知って、カルマの意味が少し変わった話
このところ、「日本の当たり前の視点」って、海外ではどうなんだろう?──そんなことを調べる機会がふえている。
たとえば「すうひ(数秘術)」がアメリカでもポピュラーだと知ったり、「六星占術って海外では知られてるの?」と調べていった先に、インドの「ヴェーダ占星術」にたどりついた。
もともと西洋のホロスコープには流れとしてしっくりくることも多くて、日常の中にも自然と取り入れてきた。
だから「同じ占星術」であるヴェーダに興味をもったのは自然なことだったけど、第一印象は、正直少し苦手だった。
「カルマ」「宿命」──その言葉が強く前面に出てくることが、ちょっと引っかかった。
ヴェーダ占星術ってなに?
ヴェーダ占星術は、インドで何千年も続く叡智から生まれたとても奥深い占星術。
特徴のひとつは、人生を約120年周期の**「惑星ごとの時期」**に分けてみるところ。
1つの惑星サイクルは約6〜20年ととても長く、「今週どうなる?」「今月の運勢は?」といった短いスパンではなく、もっと長い目線で人生の流れを読む。
だからこそ、今の状態に一喜一憂してしまうようなときにも、「ここはまだ道の途中なんだ」と思える安心感がある。
これは、私が50歳を過ぎた今だからこそ、よりリアルに楽しめる占星術だと感じた。なぜなら、自分の過去を振り返って比べられるから。
私の人生と照らし合わせてみたら…
実際にわたしが歩んできた流れとヴェーダ占星術の大きなスパンが驚くほど重なっていて、少し鳥肌が立った。
特に、20代の**「ケートゥ期」**は自分の進む道が見えず、精神的にも不安定な時期だった。
そして**「金星期(約20年)」**は結婚、出産、母の他界、離婚を経て、新たな始まりと怒涛の時代だった。
そして、現在わたしは**「太陽期」**へと入っている。まさにいま、”自分という存在”を照らすような時期。
そして何より楽しみなのが68歳からの**「木星期」**──ここからが「繁栄」のサイクルらしい。
今までの人生が、そこへ向けた準備だったのだとしたら。50代を迎えた今だからこそ、この先の時間が、さらに面白くなると感じられる。
カルマや宿命って、もっと軽くていい
私はもともと「カルマ」「宿命」という言葉がちょっと苦手だった。
今うまくいかないことを「前世のせい」「宿命だから」とされるような、重くて、抜け出せない感じがしていたから。
でも、ヴェーダ占星術を知ってから──この”カルマ”や”宿命”というものの見え方が、少し変わった。
日本のスピリチュアルの中では、「魂の課題」とか「来世に向けた修行」みたいな、ちょっと深刻でネガティブな印象を持たれがちなこの言葉たちも、本来はもっと自然で、もっと”日常的なこと”なんじゃないかと思えてきたのだ。
たとえば──
あなたはちょっとおっちょこちょいな性格ね、それ、お父さんに似たのかもね〜オホホホ だから、気をつけていこうね!
みたいな感じで、「そういう傾向があるなら、流れの中で意識してみるといいよ」という”お守り”のような存在として捉え直せる気がした。
それって、「変えられない運命」じゃなくて「あなたに元々ある要素だよ」っていう話。
だから、一喜一憂する出来事のなかで心がざわついたとき、ちょっと振り返って見るための参考として──カルマや宿命も、もう少し軽やかに使ってもいいのかもしれない。
日本人気質ってこういうとこあるよね
ヴェーダ占星術のようなカルマや宿命という概念と、天使やホロスコープやエンジェルナンバーのような”西洋的な感覚”がいっしょくたになってるのって──まさに日本っぽい。
クリスマスも、ハロウィンも、お正月も、神社のお参りも、ぜんぶ宗教関係なく「楽しむもの」として受け入れる。
ある意味で宗教観が薄いのではなく、「楽しむ」ことが得意な人種なんだと思う。
スピリチュアルの世界でも、自分の中に「西洋」と「東洋」が同居していて、そのどちらも、自分の”感覚”でつないでいけたらいい。
ヴェーダ占星術は”長く生きてきた人”にこそ楽しい
短いスパンの占いで一喜一憂することに違和感があったり、疲れてしまった人には──この**「長いスパンの流れ」で人生を眺めるヴェーダ占星術**は、ちょっとした希望になってくれるかもしれない。
「今は嵐の中だけど、長い旅のひとつの場面」そう思えるだけで、少し落ち着けることもある。
特に、人生をある程度歩んできた人なら──きっとその”長い流れ”が、心にストンと響くはず。
だから私は、**ヴェーダ占星術は「50代以降の占星術」**かもしれないと思っている。
振り返れる過去があってこそ、先の未来にワクワクできるものだから。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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