くまこブログ

52キャラットという生き方—自分が笑える表現で

年齢の話題に感じる重たさ

年齢をどう受け止めるか、という話題は、いつも少し主張めいて聞こえる。 一見ポジティブに捉えているようで、その実どこか”言い返し”のような響きがあって、逆にこだわっているようにも感じてしまうのだ。

たぶんそれは、 「年のくせに派手な服を着るな」とか、 「年相応にしたら」という外からの声が前提にあるからだろう。 反論するかたちになると、どうしても重たくなる。

でも、私はそこに反論したいわけじゃない。 自分が笑える表現ならなんでもいい。強がりじゃなくて。

お笑い芸人の「キャラット」という表現

きっかけは、お笑い芸人の方が「キャラット」という言葉で年齢を例えていたことだった。 その表現を聞いて「いいな」と思った。 年齢をただの数字として受け流すのではなく、 ダイヤモンドのキャラットのように、年を重ねるごとに輝きも価値も増す。 それを笑いながら言えるのが、とても心地よかったのだ。

私は52歳。 でも52キャラット。 そう言うと「ガハハ」と笑えて、周りも「アハハ」と一緒に笑ってくれる。

その空気がいい。 主張や言い返しではなく、笑って共感が生まれる方が心地いい。 それが私にとっての、年齢との付き合い方。

自虐じゃない、重きがないだけ

大切なことがもう一つあります。 「おばちゃん」とか「52キャラット」とか言うのは、自虐ではないということ。

私も普通に「おばちゃん」って自分で言います。年齢的におばちゃんの年齢だから。そこにこだわってないから言える。でもそれを「自虐だ」「自分を下げてる」と言う人もいる。

違うんです。自虐だなんて思ってない。単純に私の中の事実を言ってるだけ。そこに重きがないから、軽やかに言えるんです。

好きな友達同士で「私らおばちゃんだからね」って言うのは、全然笑える。共感し合えるから。

でも自分より年上の男の人に「おばちゃん」って言われた時はカチンとくる。「は?だったらあなたはおじいさんですけど、いやくそじじいに言われたくないし」って思う。

それは相手が落としてくる空気の読めない感じで言ってくるから。受けてるとでも思ってるの?こちらは場の空気悪くしたら悪いと思ってニコニコしてるけど、内心は違う。

あれはたぶんおじさんあるあるで、キャバクラとかスナックのノリだと思うんです。あっちは仕事だから笑ってくれてるのに、それを真に受けてる。それを普通の女性にも同じノリで話してくる。

つまり:

  • 自分で言う「おばちゃん」=重きがない、自然な受け入れ
  • 友達と言う「私らおばちゃんだからね」=共感と笑い合い
  • 年上男性が言う「おばちゃん」=見下しと勘違いした受け狙い

同じ言葉でも、誰がどういう文脈で使うかで全然意味が変わるんです。

現代社会では、年齢に関する様々なプレッシャーが存在しています。特に女性は「若く見られたい」「年齢を隠したい」という思いと、「年齢を重ねることも素晴らしい」というメッセージの間で揺れ動くことがあります。

SNSでは「50代でもこんなに美しい」「年齢なんて関係ない」といった投稿をよく見かけますが、それらも時として「年齢と戦っている」ような印象を与えることがあります。

本当は、年齢と戦う必要なんてないのかもしれません。

笑いが生む軽やかさ

「52キャラット」という表現の良さは、その軽やかさにあります。

ダイヤモンドのキャラット数が高いほど価値が上がるように、人生のキャラット数も年々価値を増していく。でもそれを重々しく語るのではなく、笑いながら言える。

この軽やかさが、年齢の話題から重たさを取り除いてくれます。「私はもう〇歳だから」という制限的な考えでもなく、「〇歳になっても頑張っています」という努力アピールでもない、第三の選択肢です。

共感が生まれる場所

「52キャラット」と言ったとき、周りの人が「アハハ」と笑ってくれる。その瞬間、年齢の話題が対立や比較の場ではなく、共感と笑いの場に変わります。

20代の人は「私は20キャラットですね」と言えるし、70代の人は「70キャラット、なかなかの価値でしょう」と言える。みんなが自分の年齢を肯定的に、そして軽やかに受け入れられる表現方法です。

年齢を味方にする生き方

「キャラット」という考え方は、年齢を敵でも味方でもない、ただの「今の自分の状態」として受け入れることを教えてくれます。

ダイヤモンドが長い時間をかけて美しく輝くように、私たちも時間をかけて今の自分になってきました。その過程で得た経験、知恵、人間関係、すべてが今の「キャラット数」を形作っています。

それを誇らしげに語る必要もないし、卑下する必要もない。ただ、「今日の私は52キャラット」と笑いながら受け入れる。それだけで十分なのです。

Light Upとしての年齢受容

年齢を「キャラット」として捉える考え方も、Light Upの一つの形だと思います。

毎朝「今日はどんな私でいよう?」と服を選ぶように、「今日は52キャラットの私として、どう輝こう?」と考える。年齢を制限ではなく、自分らしさの一部として取り入れていく。

そこに重たい主張も、必死な努力も必要ありません。ただ笑いながら、今の自分を受け入れるだけ。それが私にとっての、年齢との心地よい付き合い方です。

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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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