
ギターの弦と身体の調律
ギターの弦を合わせるように、人間の身体も日々調律されているのだと思う。 ただ、1本だけ鳴らせば素人にはズレに気づきにくい。けれど本物の演奏者や長年触れてきた人は、その微細な違いをすぐに感じ取る。身体も同じだ。自己流では気づけない限界があり、自己流ゆえの落とし穴もある。
だから「本物」と「自称」の世界を見極める目が必要になる。 プロを名乗る人が必ずしも本物とは限らない。けれど、最後にそれを判断するのはやはり自分自身の耳、自分の感覚だ。
スピリチュアルバイパスという逃避
そしてここで出会った言葉がある。 「スピリチュアルバイパス」――心理学者ジョン・ウェルウッドが1984年に提唱した概念で、「未解決の感情や問題から目をそらすために、スピリチュアルを逃避的に使うこと」を意味する。
ウェルウッドは「スピリチュアルな実践や信念を用いて、実際の心理的な成長や感情的な癒しを避けること」と定義している。つまり、高次元の理想や概念にしがみつくことで、地に足のついた現実や難しい感情から逃げてしまうことだ。
たとえば「すべては愛」「宇宙を信じていれば大丈夫」という美しい言葉で、自分の怒りや悲しみに向き合わずに済ませてしまう。または「私はもう過去を手放したから」と言いながら、実際にはトラウマがそのまま残っていて、それに蓋をしているだけ。
形だけの調律の危険性
「トラウマを癒す」と言いながら、実際は自分と向き合うことを避けて誰かの教えに依存してしまう。 「天使や宇宙とつながる」と言いながら、自分自身とのつながりを置き去りにしてしまう。
それは一見、調律のように見えても、実は音を聴かずに形だけ弦を回しているのと同じだ。
スピリチュアルな言葉や実践は、本来は自分の内側と深くつながるための道具のはず。でもそれが逃避の手段になってしまうと、かえって自分から遠ざかってしまう。資格やディプロマを持っているから信頼できるとも限らない。美しい言葉を並べているから本物とも限らない。
本当の自分の声を聞く
自分とつながるのはもっとシンプルなことかもしれない。 資格やディプロマがなくても、自分の声に耳を澄ませるだけでいい。
ただ、その声が「本当に自分のもの」なのかを見極めるのが難しい。なぜなら、他人の誘導で得た答えを自分の声だと思い込むこともあるから。
セッションを受けた後、一時的にスッキリしたような気がするけれど、また同じ悩みに戻ってしまう。それは本当の癒しではなく、依存のサイクルかもしれない。
けれど、それを信じるかどうかもまた自分。結局、責任も選択も自分の手に委ねられているのだ。
自分で意味を決める
ある日、車が停まった瞬間に「69000」という数字を見た。 ただのメーターの表示。でも私はそれを「調律が一区切りしたサイン」と受け取った。
意味を教えてくれる誰かはいない。決めるのは自分自身。
スピリチュアルバイパスに陥らないためには、誰かが教えてくれる「正解」を求めるのではなく、自分の感覚を信じること。自分の中から湧き上がってくる声に、静かに耳を傾けること。
未来は流れてくるものではなく、自分で決めて進むもの。 不協和音が鳴ったなら、それは「合わせ直すタイミング」なのだ。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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