
記憶の奥にあるスイッチ
今朝は3:24に目が覚めた。夢を見たのは覚えているのに、何も思い出せなかった。
でも、ただ目を閉じて静かにしていたら、まるで夢を思い出す夢の中に入ったような感覚が訪れた。
思い出そうとしていたわけじゃないのに、記憶のどこかにアクセスするような不思議な時間。
これは**”誘導催眠”のようなもの**かもしれないと思った。
本来わたしたちの中にある能力
きっとこうしたことは特別な訓練や学びで身につけるものじゃなくて、本来わたしたちの中に組み込まれている能力なのかもしれない。
必要なときに、最適なタイミングで作動する。まるでスイッチのように、自然に起こる。
だけど、わたしたちは情報や知識を先に得ることで「ほしい」と思ってしまう。するとその瞬間、それは”外側にあるもの”になり、お金や技術、講座のようなかたちで手に入れようとする。
でも本当は、誰の中にもあって、コードが違えば、発動する時期も方法も違うだけ。
だから、発動しないことが”かわいそう”でも”不完全”でもなく、むしろそれぞれの人生で、別のコードを体験しているだけ。
正解も不正解もない。ただ、みんな違うコードを生きているだけ。
無くなってはじめて気づく記憶
最近、車で地元を走っていると、いつの間にか建物が壊され、あった場所がなくなっていることに気づく。
「ああ、ここ、昔よく来たな」って思い出すのは無くなってから。
はじめて強い思い出じゃなかったとしても、なくなってはじめて、そこに記憶があったと気づく。
母と入った店、何気なく歩いた道。思い出そうとしなければ、記憶の奥にしまわれたままだった日々。
なぜブログを書き始めたのか
そんな体験の中で、ふと疑問が湧いた──
私はなぜ、こうしてブログを書き始めたんだろう?なぜ、見せるものを創り始めたのか?
誰かを導きたいわけでもないし、信じさせたいわけでもないのに。
未来のわたしへの手紙
でも、今はこう思う。
わたしは「わたしのために書いている」んだ、と。
いつか人は死ぬ。でもこれは、死んだあとに残すためじゃない。
“未来のおばあちゃんのわたし”が、またこの記録を読んで、そのときの視点や経験で、あらたな気づきを受け取るかもしれない。
それがちょっと面白いと思ったから。
今のわたしが書いたことが、未来のわたしにとっての”スイッチ”になるかもしれない。
つまり、これは未来の自分への手紙。
記録は、未来のわたしのためにある。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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