
左手に描かれなかった、わたしの生命線
朝のグラウンディング。うつぶせで地球に近づいていたとき、手のひらがじんじんと熱を帯びていた。
そして、散歩のあと。手があたたかく高揚して、赤く浮かび上がる手相が目に入った。
──あれ、やっぱり私、左手の生命線がない。
ずっと昔から気になっていたことが、ふいに戻ってくる。まぁみてもらえばきっと「これですね」といわれる線があるのだろうけど。
子どもの頃からの違和感
手相というものを初めて知った頃、右手にはくっきり長い生命線があるのに、左手には「これ」という線が見つからなかった。
それがずっと、ひっかかっていた。もしかして私、早く死ぬのかなって。
だから私は、親指の下を少し凹ませて、「ここに生命線がある」ように見せていた。
ほんの小さな頃から、ずっとそうやって。
「左手は魂のルーツを示す」という説
でも、今日ふと知ったの。**「左手は魂のルーツを示す」**と言われているという説。
──それなら、私は納得がいく。
もしも私の魂のルーツが地球ではないとしたら、“人間のルール”である手相の枠に当てはまらないのは当然かもしれない。
そもそも手相というのは、人間という存在のための地図。だとすれば、左手に明確な生命線がなくても不思議じゃない。
「無い」のではなく、「描かれていなかった」だけ
そのことに気づいたとき、長年の違和感が、すっと消えていった。
「無い」のではなく、「人間の枠には描かれていなかった」だけ。
私の生命線は、コードとして”内側”にちゃんとあったのだと思えた。
わたしの手は、いま地球とつながりながら、この場所に線を描いている。見えない地図を、自分でなぞりながら──。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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