
断捨離、浄化、区切り、切り替え。
節目や何かを始めるとき、終わらせるとき、リーディングの中でも、日常でも、当たり前のように使われている言葉。
いらないものを捨てる。距離を取る。関係を終わらせる。環境を変える。
それらはもう、ひとつの“正解”みたいに扱われている気がする。
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服を整理する。
連絡先を消す。
場所を変える。
人との距離を取る。
そういう行動そのものが悪いとは思っていないし、必要な場面も確かにある。
でも最近、それとは少し違うところに目が向くようになった。
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対人や出来事、環境を「処理」することで、何かが片付いたような気持ちになる。
前に進めたような感覚になる。
でもそれって、本当に整理されているのはどこなんだろう、と思うことがある。
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相手が悪い。
環境が合わなかった。
タイミングが違った。
そう考えた方が楽なこともあるし、納得しやすい。
でもそれは、正しさというより、気持ちの置き場の問題なのかもしれない。
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環境を変えても、距離を取っても、
そのときに生まれた感情は、自分の中にちゃんと残っている。
がっかりした感じ。
期待してしまった感覚。
傷ついた気持ち。
腹立たしさ。
諦め。
それらは、相手がいなくなっても、場所を変えても、勝手に消えたりはしない。
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部屋の模様替えに少し似ている。
家具の配置を変えたら空気は変わるし、気分も変わる。
でも、住んでいる人間が同じなら、生活の癖や考え方はそのままだ。
どこに行っても、自分を連れて行くことになる。
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「切った」「離した」「終わらせた」と言える形のほうが、分かりやすいし、強く見える。
でも実際には、
自然に離れていくものもあれば、
うまくいかなかった結果として距離ができることもある。
そこに無理やり意味をつけなくてもいいのかもしれない。
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人間関係でも、出来事でも、
本当に向き合う必要があるのは、相手よりも、
そのとき自分の中に生まれた感情のほうだったりする。
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何かを切ることより、
何を感じていたかを見ること。
捨てることより、
なぜそれに引っかかっていたかを知ること。
終わらせることより、
納得していない自分をそのままにしないこと。
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それはとても地味で、分かりやすい変化には見えない。
何かをやった感じもしないし、達成感もない。
でもたぶん、今の私はそっちの方が自然なんだと思う。
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環境を変えたから楽になる、ではなくて、
感情を見たから次に進める、という順番。
模様替えより、家の構造を見る感じ。
片付けより、なぜ散らかるかを見る感じ。
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断捨離や浄化という言葉が悪いわけじゃない。
ただ、それを「やること」にしてしまうと、
本来向き合うはずだった自分の内側から、目が逸れてしまうこともある。
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今の私は、何かを切りたいわけでも、捨てたいわけでもなくて、
ただ、自分の中に残っているものをちゃんと把握していたいだけ。
それだけで、十分だと思っている。
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次は、今回のブログの中でも触れた
「片付けより、なぜ散らかるかを見る感じ。」
この一文に込めた ― 感情の断捨離や浄化 ― について、
もう少し深く書いてみようと思う。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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