
夢と日常のはざまで
── グループ化を外しなさい ──
2025年6月17日 4:32、目が覚めて、スマホの時刻を確認。
そこから再びぼんやりとまどろみに戻る中で、「あれ、さっき夢を見ていたような…」と、夢の断片をたどってみた。
思い出したのは──
「誰かに料理を作って、冷蔵庫にしまう」という光景。誰のためだったのか、何を作っていたのかは曖昧。けれど、”誰かのために用意した”という感覚だけがリアルに残っていた。
現実と夢のはざまで
完全に目が覚めたわけでもなく、でも夢の中という感じでもない。そんな”あいだの状態”で、私はひとつの映像を見た。
それはパソコンの画面。画像編集ソフトで、たくさんの写真が「グループ化」されていた。そして、カーソルが「グループ解除」をクリックする。
その瞬間、こう聞こえた。
「グループ化を外しなさい」
映像と感覚で受け取る
私は、言葉だけを”ポン”と受け取るタイプではない。言葉は、いつも映像とセットで届く。
でも私は絵が描けない。だからこれまで、リーディングでもその”映像の意味”をどう伝えたらいいのか、少しもどかしかった。
今回のように、起きているけど夢のような映像の中で受け取った言葉は、オラクルカードのように、すぐに意味がわかるものではない。
グループ化を外すということ
日常の中で、私たちはたくさんの「グループ化」をしている。
人間関係、決めつけたパターン、こうあるべきという思考。それらを、自分の意思で、そっと外していく時なのかもしれない。
小さな「正しさ」で自分を囲っていた私が、少しずつ「自由な形」に戻っていくような朝だった。
星と自分を照らし合わせる
私は”未来を占いたい”わけではない。でも、日常を過ごしていて「そういえば、今どんな星の流れだったっけ?」と照らし合わせてみると、ぴったりと星と呼応していた、ということがよくある。
そんなとき、私は思う。
「よかった、ちゃんと自分で選んで進めていたんだ」
この日常の記録も、すべては”光を記録すること”につながっていく気がしている。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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