
夢の話。
いつもなら、夢の中でも母は生きていて、普通に会話をしているのだけど、今回ははっきりと**「亡くなっている」という設定**だった。
夢の記録
夢の中で私は、母の知り合いだったおばさまたちに会っていた。
どの方も社交的で、活躍されていて、いかにも裕福そう。そのおばさまたちと一緒に、大きな段ボールをのぞき込んでいた。
中には、20代くらいの若い女性が5人ほど。どの子もきれいにメイクされていて、スタイルも整っていたけれど、みんな亡くなっていた。
「若くてきれいだけどね」と言いながら、おばさまたちは少し淡々と話していたのが印象的だった。
そのうちの一人が、「この中で一番有名な方がいるのよ」と、もう一人のおばさまに紹介してくれた。
その人はギラギラした感じはなく、でも一線を画した雰囲気をまとっていた。自分から”力がある”なんて言わないのに、周りのおばさまが「話しかけた方がいいよ」とすすめてくれるような存在だった。
朝の出来事
この夢は、4時台に一度目が覚めたあと、二度寝したときに見たもの。
私はもう10年以上、目覚ましなしで4時台に目が覚めるタイプなのに、この日は気づいたら6時45分。息子を6時半に起こす予定だったのに、大寝坊で大慌て。
でも、不思議と焦りながらも**「生きてるなぁ」**と少し嬉しく感じた。
朝はそのままおにぎりを握って、息子・娘・兄を順番に送り出して、シャワーを浴びて……本当にバタバタのスタートだった。
夢のリーディング
この夢は、私の中で**「母の死」をようやく現実として受け止め始めたサイン**のように感じた。
これまで夢の中では、母はいつも生きていた。つまり、私の心の中ではまだ”母を失っていない”状態だったのだと思う。
けれど今回は、はっきりと「もう亡くなっている」世界だった。
母の知り合いであるおばさまたちは、たぶん**”母の世代の女性性”を象徴している。**
そして、その人たちと一緒に見た”きれいな女性の亡骸”たちは、若さや外見への執着、理想像のような**”過去の私の一部”**だったのかもしれない。
段ボールという”整理する箱”の中に入っていたのも象徴的。つまり、私はもうそれらを見届けて、手放す準備をしていたのだと思う。
紹介された”有名なおばさま”は、新しい女性性――成熟した静かな力、内側から滲み出る影響力――の象徴。
それは、誰かに見せるための光ではなく、「ただ在るだけで伝わる」ような力。
そして周りの人たちが「話しかけた方がいいよ」とすすめるのは、「もうその新しい自分とつながっていい」という合図にも感じた。
最近の夢に出てくる”死”について
そういえば、前回の夢では「ビルから飛び降りる高校生」を見ていた。
最近どうも、”死”や”亡骸”が象徴としてよく出てくる。でも、それを怖いとか不吉とは思わなかった。むしろ、どこか静かで、自然な流れのように感じた。
夢の中での”死”は、終わりではなく**「変化」「再生」のサイン。**
そしてこの朝、寝坊して慌ただしく動いた現実の中で、私は確かに**「生きている」**と感じた。
夢と現実の両方で、何かが終わり、そして何かが始まった朝だったのかもしれない。
余韻
母のいない夢を見たのは、たぶんはじめて。
でも、悲しさよりも、“ようやく現実と夢がひとつになった”ような静かな納得があった。
母はもう夢の中でも生きていない。
でも、私の動きの中で、確かに生きている。
そんな朝だった。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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