
昨日のブログでは、
断捨離や浄化という言葉の奥にあったものについて書いた。
切ること、離れること、終わらせることよりも、
そこに残っている自分の感情を見る、という話。
今日はその続きとして、
「片付ける」よりも
「なぜ散らかるかを見る」という感覚を、もう少し深く掘り下げてみたい。
―――――
模様替えをすると、部屋の空気は変わる。
配置を変えるだけでも気分は新鮮になるし、
一時的にすっきりした感じもする。
でも、置いてあるものが同じなら、
しばらくするとまた同じように散らかる。
押し入れに詰め込めば、表面はきれいになる。
でも、必要になればまた出して、
出しっぱなしになって、元通り。
思い切って捨てれば、その瞬間は本当に軽くなる。
でも、考え方が変わっていなければ、
また同じようなものを買ってくる。
引っ越しをすれば、環境は大きく変わる。
でも、持っていく中身が同じなら、
新しい場所で同じ景色を再現する。
これって全部、
「片付けた」「変えた」ようでいて、
“選び方”が変わっていない状態なんだと思う。
―――――
人間関係も、すごく似ている。
離れる。切る。距離を取る。
関係を終わらせる。環境を変える。
それ自体が悪いわけじゃないし、
必要なタイミングも確かにある。
でも、もし何度も同じようなパターンを繰り返しているなら、
見た方がいいのは
「なぜその人を選んだか」のほうかもしれない。
―――――
心理学では、
人は無意識に“慣れている関係性”を選ぶと言われている。
これはフロイトの「反復強迫」や、
ボウルビィの愛着理論の中でも語られている考え方で、
人は安心できる関係よりも、
慣れている関係の型に引き寄せられやすい。
―――――
たとえば、
・認めてもらえなかった
・大事にされなかった
・一方通行だった
・利用された感じがした
こういう感覚に慣れていると、
安心とは言えないのに、なぜか「しっくりくる」相手を選びやすくなる。
頭では「今回は違う」と思っていても、
無意識はちゃんと“いつもの型”を探しにいく。
これはトラウマ反復やスキーマ療法の領域でも説明されていて、
「同じような関係を繰り返す」のは性格の問題というより、
神経系と記憶のクセに近い。
―――――
だから、うまくいかない相手を引き寄せているというより、
「慣れた形」を無意識に選んでいるだけ、という方が近い。
ここを引き寄せの設定ミスとか、波動が低いからとかに変換しなくていい。
スピリチュアルに寄せなくても、これは普通に人間の構造の話だと思っている。
―――――
そこでよく使われるのが、
学びだった
必要な出会いだった
魂の成長のため
という言葉。
それ自体を否定したいわけじゃないけど、
この言葉を使うことで、
「なぜその人を選んだか」には触れずに終われてしまうこともある。
選び方はそのまま。
入り口は同じ。
出口だけ変えている状態。
それだと、
また同じ入口に戻る。
―――――
断捨離や浄化が先じゃなくて、
本当はその前に見る場所があるのかもしれない。
なぜそれを手元に置いたのか。
なぜそれを選んだのか。
なぜそれに惹かれたのか。
物も、人も、環境も。
捨てる前に、切る前に、離れる前に、
一度そこを見る。
―――――
片付けより、なぜ散らかるかを見る。
断つより、なぜそこに置いたかを見る。
離れるより、なぜ選んだかを見る。
これって地味だし、面倒だし、
すぐにスッキリもしない。
でも、もし
「また同じことしてるな」
「なんか毎回似てるな」
って自分で気づいたなら、
それは責めるポイントじゃなくて、かなり大事な入口だと思う。
―――――
断捨離も浄化も手放しも、
たぶんそれ自体が目的じゃなくて、
その前にある“選び方”や“慣れ”や“感情”に気づくための通過点。
片付ける前に、
なぜ散らかるかを見る。
それが見えたら、
たぶん次の断捨離や浄化は、
今までとは全然違う質になる。
―――――
✧━━━━━━━━━━━━━✧
自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
✧━━━━━━━━━━━━━✧


























