
犬の散歩中、最初はただの「プンスカ」でした。
人の家の前に放置された犬のウンチ。ちゃんとしているこちらが迷惑を被るなんて腹立たしい。「なんなのよ」と怒りながら拾って帰りました。
ダンゴムシが教えてくれたこと
翌朝、また別の場所に放置されたウンチを見つけました。「え?また?」と呆れながら近づくと、そこにはダンゴムシが群がっていました。
昨日までの怒りがふっと和らぎ、「人間にとって不要でも、虫たちにとっては命の糧なんだ」と気づいたのです。そのままゴミにするより、草むらへ返して循環に任せる方が自然だと思えました。
私たちが「汚い」「迷惑」と感じるものも、自然界では大切な栄養源。ダンゴムシたちにとって、それは生きるための恵みでした。人間の価値観と自然の摂理は、時として全く違うものなのですね。
カラスが見せてくれた命のリレー
その同じ散歩の途中、カラスたちが電線に並び、私の頭上からなかなか動きませんでした。「おはよう」と声をかけて下を見ると、小さな死骸が道路にありました。
ネズミかカエルでしょうか。カラスたちはそれを食べていました。「酷い」とは思いませんでした。むしろ大切な友達の本能的な姿を見たようで、「そういう世界なんだ」と納得したのです。
命はこうして繋がっていく。一つの命が終わっても、それは別の命の糧となり、循環していく。カラスたちは、その神聖なサイクルの一部を担っているのだと感じました。
夜の蜘蛛が運んでくれた安心
そしてその日の夜、部屋に蜘蛛が現れました。息子は怖がって掴めませんでしたが、私はヒョイと捕まえて外へ逃がしました。
昔「夜の蜘蛛は縁起が悪い」と聞いたことがあります。でも逃がしてあげた私はスッキリして、安心して眠れました。
縁起は諸説あります。守り神、ご先祖さまからのメッセージ、とも言われる。結局のところ、自分がどう受け取るかです。
蜘蛛を優しく外に返してあげたことで、私の中に温かい気持ちが生まれました。それが私にとっての「縁起の良さ」でした。
嫌われ者たちの本当の役割
怒りから始まった出来事は、ダンゴムシで「循環」を見せられ、カラスで「命のリレー」を感じ、蜘蛛で「安心して整える」という結びになりました。
ただの散歩や夜の一コマが、自然からのスピリチュアルメッセージに変わっていった。嫌われ者とされる存在たちが、実は宇宙の循環の中で大切な役割を持っているのだと。
ダンゴムシは分解者として土を豊かにし、カラスは清掃者として環境を整え、蜘蛛は家の中の害虫を食べてくれる。みんな、それぞれの場所で大切な仕事をしているのです。
自分がどう受け取るかがすべて
そして何より──どれをどう解釈するかは自分次第。縁起が良いか悪いかより、自分にとってどんな意味になったか。そこにすべての答えがあるのだと思います。
最初は怒っていた犬のウンチから始まって、最後は安心して眠れるまでの一連の出来事。それは自然界の循環の美しさを教えてくれる、完璧なストーリーでした。
私たちも、この大きな循環の一部。すべては繋がっていて、すべてに意味がある。そんなことを、小さな生き物たちが教えてくれた一日でした。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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