
「つながる」とき、それは生きている今の中にある
地球に生きているということは、この世界の「物理」と「日常」の中に存在しているということ。
呼吸をして、働いて、ごはんを食べて、お金を使って、人と関わって、眠る。それが「人として生きている」ということ。
私はよく言葉を受け取る。メッセージのように、ひらめきのように。
でもそれは、特別な時間にだけ降りてくるものじゃない。わざわざ受け取る構えをしなくても、日常を生きているからこそ、ある瞬間、ふと「つながる」時がある。
それは、コードがつながって、スイッチが入ったような感覚。
買い物へ向かう途中、道を間違えた先で出会う景色。ふと立ち寄った神社。鳥の声、風に揺れる光。誰かのふとした言葉。
そのすべての瞬間に、「ひらめき」は潜んでいて、私はそのコードに触れた時、自然と受け取っている。
つまり、“生きているから”受け取れる。”人として在るからこそ”つながる。
それが私にとっての「チャネリングのようなもの」であり、受け取りの形。
だからこそ、スピリチュアルなものは特別な空間や特別な修行の中だけじゃない。むしろ、日常をしっかりと生きている人の中に、静かにやってくるものだと、私は信じている。
6月から「ほしくまこ」として生きてみて
2025年6月から、私は「ほしくまこ」としてどっぷりこの流れに身を委ねている。
といっても、完全に山籠もりしているわけじゃない。パーソナルレッスンもあれば、ファッションコーデも楽しんでいる。
私自身が言うのもなんだけど──**「スピリチュアルだけど、フワフワしていない」**そのバランスが自分でも気に入っている。
好きなことにベクトルを向けたら、驚くほど毎日が軽くなった。もちろん、今までもその時々で最大限楽しかったけど、今が特に心地よいのは、体調がすこぶるいいから。
たまに満月や新月で頭痛がくることはあるけれど、ここ数年の、理由がわからないまま不調に苦しんでいた時期とは、まさに雲泥の差。
きっと「無理をしていたこと」に、自分が気づいたからなんだと思う。
スピリチュアルとは、生きていることそのもの
私にとって「スピリチュアルな世界」は、怪しいものでも、目に見えるかどうかの世界でもない。
それよりも、たとえば**「精子と卵子が出会って、命が生まれる」**ということ。それ自体が、もう奇跡であり、スピリチュアルそのものだと思っている。
だから、ヒーリングもカードリーディングも「特別な才能」ではなく、すべての人の中に本来ある感覚だと感じている。
むしろ、本来は”習うもの”ではないのかもしれない。誰かに認められたり、資格を取ったりしなくても、自分の中の感覚とちゃんとコードがつながれば、もうそれでいいのだと思う。
「生きていることが素晴らしい」
その当たり前の感覚を思い出すことが、きっと”今”の時代のスピリチュアル。
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生きているだけで、コードはつながる
My rhythm, my light
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