
鬱、躁鬱、パニック障害、PTSD――これらについては時折プロフィールにも書いてきました。 でも、あまり語らなかった部分にライトが当たるときが来ました。 きっかけは、セミコロンプロジェクトを知ったこと。 辛く、隠してきた過去が変化するときです。
あの日のこと
セミコロンプロジェクトのテーマと同じく、私にも自殺未遂の経験があります。 ただ、その時の私の気持ちは「死のう」ではなく、「私が死んだらどうなるだろう」という好奇心のようなものでした。
その前には、とても辛い出来事があり、すでに鬱や躁鬱などの診断も受けていました。なぜそうしたのか、今となってははっきり分かりません。
当時、天井の高い私の部屋には、物干しロープを掛けるためのフックがありました。私は椅子に上がり、そのロープを首にかけました。 椅子から降りる勇気も出ず、次の瞬間、フッと意識が途切れました。ロープが首の血管を締めていたのでしょう。
我に返ったとき、私はもがいていました。なんとかロープを外し、間一髪で命はつながりました。首には、ロープで擦れた赤く生々しい傷が残りました。
その後も手首を切ったこともありますが、私は今も生きています。
今、思うこと
ふと思ったのです。 「死のう」ではなく「私がいなくなったら…」と考えた行動でも、もしかしたら本当に命を落としてしまう人もいるのだと。
今は振り返ることができます。 かつては、自殺未遂のことは振り返りたくなかったけれど――セミコロンを知って、振り返れるようになりました。あの頃とは違う気持ちで。
なぜSemicolon JPを始めたのか
私は海外のセミコロンプロジェクトに出会い、その象徴が「物語を終わらせない選択」だと知りました。
といっても、何か大きなことをするわけでも、しようというわけでもなく、私の中での一つの印のようなもの。 これは、過去の私にも、今まさに暗闇にいる誰かにも届く灯り。そして、続けることを選んだ証です。
それでも書く理由
もしかしたら、この文章を読んで否定的に感じる方もいるかもしれません。「可哀想自慢?」や「過去自慢?」と思う人もいるでしょう。
**それでも――**ライトアップをひとりで始めた今、この記憶に向き合い、言葉にすることは私にとって必要なことだと感じています。
外からはそうは見えなくても、鬱や心の病を経験している人がいます。私もそうでした。頑張れてしまうし、元気に振る舞えてしまう。ある意味、それはスイッチが入った状態でもあります。
でも、「鬱に見えない」「本当に鬱なの?」という言葉は、時に深く突き刺さります。その言葉で、またどん底に落ちることもありました。
「私は休みたいだけの怠け者?」 「注目を浴びたいだけの仮病?」
そう自分を責めてしまう。その落差の大きさに、終わらせたいと思うこともありました。
セミコロンから生まれたLight Up
セミコロンは、もう過去の痛みを思い出させる印ではありません。 「ここで終わりじゃない」と教えてくれる、今を続けるための光になりました。 それは私にとってのLight Upそのものです。
もし同じような感じの方がいたら、お互いの心の中でハグしましょう。 セミコロンJPっていいながら。
どう思われたとしても、この言葉が「まだ続けたい」と思う誰かの光につながれば嬉しいです。
この記事は、Light Up CREATIVE プロジェクトの一環として書かれました。
興味を持ってくださった方は、こちらからもご覧いただけます:
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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