
時間の幅、誰が決めたの?
1分が60秒って、誰が決めたんだろう?そんなことを考え始めた朝だった。
1分が60秒、1時間が60分。でも、それって「1秒=この長さ」って誰かが決めたってことだよね。
調べてみたら、この”60″という数は古代バビロニアの60進法がもとになっていて、角度や星の動きを分けるのに便利だったから、その数え方がそのまま時間にも受け継がれたらしい。
(追記) この記事を書いた後に知ったのですが、諸説あるようで、古代バビロニアよりもさらに古いシュメール人が60進法の大元を作ったという説もあるそうです。シュメール人って一体何者だったんだろう?文字も都市も車輪も発明したとされる彼らが、時間の概念まで…。これはもっと深く探りたくなりますね。
つまり、今わたしたちが使っている「時間の単位」って、自然に生まれたものじゃなくて、人が分けやすさで決めたものだった。
時間のずれの感覚
ふと思い出したのは、6月12日の朝に書いたブログ。タイトルは「時間のずれの感覚」だった。
「今」がわからなくなったアナログ時計。「金曜日だ」と思い込んだ水曜日。針の指す時間を、何度見ても受け取れなかったあの感覚。
あれはきっと、“私の感覚のリズム”が、決められた時間からずれていたんだと思う。
新しいリズムに調整されている途中
もしかしたら今、何かを始めた人や自分の”道”を動かし始めた人には、こういう「時間のズレ感覚」が起きるのかもしれない。
ちょうど、2日前は夏至。一年のうちでも、太陽の光が一番長くなる日。地球のエネルギーが切り替わるタイミング。
だから、いま感じているこの「ズレ」は、ただの混乱じゃなくて、新しいリズムに調整されている途中なのかもしれない。
わたしのリズムで感じていい
時間って、流れているように見えて、わたしたちは「人が決めた時間」をただ読んでいるだけかもしれない。
だけど、時計やカレンダーでは測れない**”わたしのリズム”**にちゃんとつながることで、ほんとうの「今」が見えてくる。
「時間の幅」すら人が決めたなら、わたしは、わたしの幅で感じていい。
今日という日も、明日も、誰かのリズムじゃなくて、**わたしの”今”**で灯していきたい。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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