
わたし的ツインレイの話
最近、ふとした表示やシンクロニシティの中で「ツインレイ」という言葉を思い出すことがあった。そのたびに、わたしの中でふっと湧いてきた感覚がある。
いわゆる「ツインレイ」という概念に、心の救いや支えを見出している人たちがいることも知っているし、その信じる気持ちが光になることもあると思う。だからその存在を否定したいわけではない。
ただ、わたし自身がこれまで経験してきたことを思い返してみると、「すでに出会っているはず」という思い込みが、未来へのときめきやワクワクを少し狭めてしまっていたような気がしている。
よく語られる”ツインレイ”の特徴とは
(※一説であり、すべての人に当てはまるものではありません)
- 魂が元々ひとつで、現世でふたつに分かれて再会する存在
- 一度出会って離れ、成長を経て再び出会うという”離別と再会”のプロセスがある
- 鏡のように互いを映し出し、課題や影の部分を明らかにする関係性
- 年齢差や立場の違い、複雑な事情を伴うことも多い
- 一緒にいることが前提ではなくても、深い魂の理解と無条件の愛を共有する存在
こうした特徴について、今のわたしは「そういう形もあるよね」と、受けとめられるようになった。
でも、だからといって自分がその枠に合わせて考えたり、過去の誰かに”当てはめる”ことには、今はもうピンとこなくなっている。
過去の出会いは「練習」だったかもしれない
思い返すと、わたしが出会ってきた人たちの中には「どこか似た名前」「声の響き」「同じ誕生日」など、なぜか気になる共通点を持った人がいた。
でも今思うのは──**「その出会いがあったからこそ、自分の中のスイッチが入った」**ということ。
そして運転していたある日、ふっとこんなひらめきが降りてきた。
もし”探し求める本来のパートナー”がいるとしたら──過去に出会った人たちは、その人に出会うためのトラップだったのかもしれない。
それは試練ではなく、練習のようなもの。”似ている”と感じた人たちは、わたしの感覚を育てるために現れてくれたのかもしれない。
だからこそ、「もう別れた人」に再び出会う必要は、わたしにはない。
私は、未来に出会う誰かとのつながりにこそワクワクしたい。
白馬に乗った王子さま──なんて言うと照れくさいけど、そんなときめきで、新しい出会いを迎えたいのだ。
コードメイト
そんな流れの中で、わたしの中に自然と生まれた言葉がある。
コードがつながるように
スイッチが入るように
光が灯るように
“いまのわたし”にぴったり合う存在。
それは、過去の延長ではなく、いまここにいるわたしが**「感じる」つながり**。
まだ出会っていない人かもしれないし、もうすでに近くにいる人かもしれない。
でも大切なのは、「その人と一緒にいるときの私が、自然に笑っていられるかどうか」
そして、こんなふうにも思うの。
世の中に”しっくりこない”ものがあるのなら、それは、自分用に創ればいい。だって、これは「わたしの人生」だから。
誰かに押しつけるものではなく、わたし自身が楽しむためのコード。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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