
✴ Light Note
– 無理せず、ただ届くままに受け取るということ –
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「夢を見たらメッセージだよ」
「夢に注目してみて」
そんなフレーズを、私はこれまで何度も耳にしてきた。
スピリチュアルに関心のある人なら、きっと一度は聞いたことがあると思う。
オラクルカードにも、よくそうした言葉が出てくる。
だけど最近、こう感じる。
> 本当にそうなのかな?
見なければ届かないの?
覚えていない夢には意味がないの?
—
夢を“見ようとする”ほど、心が遠のくこともある
ある人の話を聞いた。
夢からの気づきを受け取ろうと、毎晩夢日記をつけ始めたという。
でも、数日経つうちに「夢を記録しなきゃ」というプレッシャーで、
かえって眠れなくなり、目覚めてもスッキリしなくなってしまったらしい。
その話を聞いた瞬間、私は強く共鳴した。
まるでこの記事を書くタイミングに合わせて届いたような、ぴったりのシンクロだった。
—
私は夢を毎日見ている。でも、覚えていない日もある
「夢を見た」「見なかった」という言葉があるけれど、
私自身は、毎晩、夢は見ていると感じている。
ただ、思い出せない日もあるというだけ。
だからこそ、夢からメッセージを受け取ることに
私はあまり“苦労”を感じない。
自然に届いてくるものを、そのまま受け取っているだけ。
だけど、Dream CodeやDream Recordの投稿をしていると
こんな声を見かけることがある。
> 「私、夢を覚えていないから…」
「夢を見られない私はスピリチュアルじゃないのかも…」
そう思ってしまう人がいたら、それはとても悲しい。
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見ようとしなくていい。思い出せなくても、届いている
夢は、無理に“見るもの”ではない。
雑談の中
朝の景色
ふとした気づき
写真を見返して浮かぶ言葉
そういう何気ない瞬間にも、夢と同じ質のメッセージは届いている。
—
私が夢を記すのは、「記録しよう」としているからではない。
書こうとして見ているのでもない。
ただ、響いたときに自然に記しているだけ。
思い出そうとしても出てこないのに、
雑談中にふと「あれ?こんな夢だった気がする」と浮かぶことがある。
そのとき、私は「ああ、もう届いていたんだ」と感じる。
—
だから私は、夢日記をすすめているわけじゃない
夢日記そのものを否定しているわけではない。
でもそれが「やらなきゃいけないこと」になってしまったら、
本来のメッセージから遠ざかってしまう気がする。
眠りは、本来“回復と調整”の時間。
無理に記録を残そうとして眠れなくなったら、
本末転倒になってしまう。
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忘れた夢にも意味がある
> 見なくても、覚えていなくても、
必要なものはちゃんと届いている。
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夢を無理に“見る”必要はない。
“今ここ”にある気づきも、ちゃんとあなたへのメッセージ。
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