名前がつくと、人は安心する
答えをもらうと安心していた時期がある。むしろ、はっきり言われたほうが楽だった。
39か40歳のとき、私はうつだと言われた。そのときは「ああそうなんだ」と思ったし、少しほっとしたのも事実。自分の中で曖昧だった不調に名前がついたから。
理由がわかると納得できる。納得できると安心する。だからそのときの私は、その答えを受け取って、その前提で動いていた。
あとから見えた、別の見方
でもそこから数年経って、さらに時間が経って、46歳で閉経した。その流れの中でふと浮かんだのが、「もしかしたら、あのときの不調は更年期だった可能性もあったんじゃないか」ということ。
ただ、これはもう検証できない。過去に戻れないし、当時の身体の状態をそのまま再現することもできない。だから、あれが本当にうつだったのか、更年期だったのかは、今となってはわからない。
ここで気づいたのは、「どちらが正しいか」ではなくて、「当時は一つに確定されたことで、別の可能性は見えていなかった」ということ。
答えは、安心と引き換えに余白を減らすこともある
答えってさ、曖昧なものをはっきりさせてくれるから、やっぱり安心はするんだよね。
なんとなく不調だったり、よくわからない状態に名前がつくと、「ああ、そういうことか」って納得できるし、気持ちも落ち着く。
だから、答えをもらうこと自体が悪いとは思ってない。
ただね、その一方で、あとから思うのは、その答えに寄せていくことで、それ以外の見方をしなくなることもあるのかなって。
ひとつに決まると、それで理解した気になるし、そこから先をあえて探らなくなるというか。
本当は他にも可能性があったかもしれないのに、その時点ではそこに意識が向かなくなる。
そう考えると、答えって、曖昧さをなくしてくれるものでもあるけど、同時に、まだ見えていない部分を一旦置いてしまう働きもあるのかもしれないなって、今は思ってる。
あのときの私は、確かに救われていたと思う。だからそれが間違いだったとは思っていない。ただ、ひとつに確定したことで、別の見方や別の選択肢には触れないまま進んでいたのも事実。
いまは、確定として受け取らない
この感覚は、ここ数年でかなり変わった。
今は、答えをもらっても、それをそのまま確定として扱わなくなった。「そういう見方もあるよね」とは思うけど、それが真実かどうかはわからないという前提を残す。
占いも同じ。未来のことはそもそも検証できない。だから「こうなる」と言われても、それが正解かどうかはわからない。
昔はそれを信じて安心していたけど、今は違う。採用するのではなく、ひとつの仮説として持つようになった。
そのほうが、可能性が閉じないから。
意味は、あとから変わることがある
これってネガティブな話ではなくて、むしろ逆で。せっかくある可能性を、一つの答えで消してしまうほうがもったいないと感じるようになった。
つらいことや苦しいことも、そのときの意味がずっと固定されるわけじゃない。あとから見たら「あれがあったから今がある」と思えることもある。
つまり、出来事の意味は変わる。
だから最初に答えを決めてしまうと、その変化の余白もなくなってしまう。
答えがないまま持っていると、人は考える。探る。別の見方を見つける。そこから新しい発見が生まれる。
でも答えが出された瞬間に、その動きは止まる。
出されたものの中から選ぶ世界
これは今の環境ともつながっていると思っていて、私たちはいま、出されたものの中から選ぶことに慣れすぎている。
おすすめ、検索結果、誰かの答え。その中から選んでいるだけで、自分で探ることや、広げていくことが減っている。
だから、自分の反応を見にいく
だからこそ、私は少しスタンスを変えた。
答えを探さない、というより、確定を求めない。人の答えは参考にするけど、そこに自分を合わせない。
代わりに、自分の反応を見る。何に惹かれるか、何を残したいか、何をもう一度見たいと思うか。
その積み重ねで、見えてくるものが変わる。
未来は予測できない。でも、選び方は変えられる。反応の積み重ねは変えられる。
だから私は、答えよりも、自分の反応で選んでいくほうを選びたい。
そのほうが、今をちゃんと使えるし、毎日もおもしろくなるから。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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