見えないことは、伝えないと存在しないのと同じだと思った話
約1ヶ月前、友人の立花理佐ちゃんと久しぶりに再会しました。富山でのライブがきっかけで、そのまま新潟に来てくれて、松之山温泉にあるPonshu Hotel 睡夢へ一緒に向かいました。
理佐ちゃんは直腸がんの手術を経験していたから、温泉に入るとき「湯あみ着」が着られるか、事前にホテルに確認していました。大丈夫ですよ、とお返事をもらって、安心して向かった。
大浴場の入り口を開けたとき、湯あみ着についてのポップが置かれていて。
理佐ちゃんがそれを見て「わぁ、良かった。こういうのあって」って言ったんです。
そのとき、なるほどと思って。
私が知っていても、ホテルがOKと言ってくれても、それだけじゃなかった。一緒に入っている見知らぬ人たちが知っているかどうか、そこが大事だったんだと。
許可されていることと、理解されていることは、全然違う。
伝えることで、動いた
後日、ホテルにメッセージを送りました。
理佐ちゃんのこと、ポップを見て安心していたこと、でも他の人が湯あみ着の意味を知らないと実際は難しいこと。そのまま伝えました。
ホテルの方から返信が来て、泣いてしまいました。
湯あみ着の存在は知っていたけど、知らない方もいるよな、と改めて気付かされた。すぐにポップを置くことにした、と。
特別なことをしたわけじゃない。ただ一つ伝えただけ。それがポップになって、次の誰かの安心につながった。

見えないから、ないことにされてしまう
この旅行のことをずっと書こうと思いながら書けずにいたのが、最近自分が胸を打撲して、ようやく書く気持ちになった。
ギプスができない場所だから、見た目はいつも通り。息を吸うのも痛い、くしゃみもできない。でも家族は普通に接してくる。洗濯かごに容赦なくポイポイ入れる。痛みに耐えながらご飯を作って、自分は食べられない。誰も「大丈夫?」とは言ってくれない。
ギプスをしている人には、階段の上り下りまでさせないでしょ。
見えないから、ないことにされてしまう。
そのとき思い出したのが、鬱のときのこと。すごく頑張って通院して、カウンセラーのセッションを受けに行ったとき、開口一番「鬱には見えないですね」と言われた。めちゃめちゃ頑張って行ったのに。
パニック障害のときも、新幹線で嘔吐が止まらなくて、でも「パニック障害です」なんて名札はついていない。トイレと席を行ったり来たりしながら、すごく変な人だと思われていただろうなと、今でも思う。
全部、見えないから、わかってもらえなかった話。
でも今回のことを経て、理佐ちゃんがインタビューで言っていた言葉を思い出した。
「せっかくがんになったんで、それで終わりにしたくない」
せっかく、という言葉に、すごく共感した。私は癌は経験していないけど、辛かった経験を終わりにしたくない、伝えていきたい、という気持ちは同じで。その気持ちが、今の私の発信につながっています。
コードが繋がっていく
私がLight Upという活動をしているのは、争いのない世界へという思いが原点にあって。
一人ひとりが自分のスイッチを押して、そのライトが点から線へと繋がっていく。そんなイメージでずっとやってきた。
でも今回、改めてそれを感じた。
私がホテルに一つ伝えたことで、ポップが生まれて、次の誰かの安心になった。小さな発信でも、コードは繋がっていく。
知らないこと自体は、悪いことじゃない。私だって知らなかったことがたくさんある。でも、知った人が少し外に出していくことで、環境は変わる。
それが私のLight Upだと、今回改めて思いました。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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