昔投稿した写真を、また投稿してみた。

昔投稿した写真を、また投稿してみた。

写真は同じ。
でも書いている言葉は、今の自分の言葉。

それがなんだかすごくいいなと思った。


今回もう一度投稿した写真は

今回もう一度投稿した写真は、五泉の水芭蕉公園で撮った写真。

ここは、亡くなった母が最初に連れて行ってくれた場所。

そのときは正直、そこまで興味があったわけでもなくて、ただ母と一緒に出かけた場所、という感じだったと思う。

でも母が亡くなってから、一人で行ったとき、その場所の意味が少し変わった。

たぶん、そのときに投稿した写真もあると思う。

昔の投稿をさかのぼるのは大変だから、何を書いたのかまでは覚えていないけれど、きっとその時の感情で文章を書いているはず。

そして今回、同じ写真をもう一度投稿した。

写真は同じなのに、やっぱり書く言葉は今の自分の言葉になる。

それが面白いなと思った。


普通は

普通は、同じ写真をまた投稿するのって、少し気になると思う。

「あれ、この写真前にも見たことあるな」

とか、

「同じ写真あげてる」

って思われるかもしれない。

そういう人の目って、やっぱりどこかで気になるものだと思う。

でも、よく考えると、写真って一度しか使えないものじゃない。

好きな写真なら、また出してもいい。

例えばプロフィール写真だってそう。

プロフィール写真って、一枚の写真をずっと使うことも多い。

その写真がその人の顔になって、イメージになっていく。

投稿の写真も、本当は同じことかもしれない。

好きな写真なら、また出してもいい。

そして同じ写真でも、そのときの感情は毎回違う。


今回、五泉の水芭蕉公園の写真を投稿して

今回、五泉の水芭蕉公園の写真を投稿して、また母のことを思い出した。

「ああ、母とここに来たな」

という感覚。

そして、そうやって思い出したことを、そのまま文章に書く。

すると、その写真の意味も少し変わる。

心理学には「ナラティブ心理学」という考え方があるらしい。

人は出来事そのものよりも、その出来事をどう語るかによって人生の意味を作っていく、という考え方。

同じ出来事でも、語り方が変わると意味が変わる。

だから、同じ写真でも違う言葉になるのかもしれない。


ところで最近、私はInstagramのアカウントを少し分けている。

ところで最近、私はInstagramのアカウントを少し分けている。

メインの「kumaco1973」とは別に、写真だけを載せる「Snapshot」と、コーディネートを載せる「Outfit」。

これはフォロワーを増やすためとか、アカウントを育てるためというより、ホームページの方でカテゴリごとに投稿をまとめて転載できるようにするための動線として作ったもの。

その作業をしている中で、クラウドに保存してある写真を見直していた。

そのときに、「この写真もう一回出そうかな」と思うものがいくつも出てきた。

でもよく見ると、その写真はすでに1年前や2年前にメインアカウントで投稿している写真だったりする。

普通なら、そこでやめてしまうのかもしれない。

でも今回、あえてもう一度投稿してみた。

写真は同じ。

でも書く言葉は、今の自分の言葉。

それがすごく自然だった。


写真は記録。

写真は記録。

言葉は、そのときの感情。

同じ写真でも、そのときの自分が違えば、そこに書く言葉も変わる。

そうやって投稿を書き直していくことで、その出来事の意味も少しずつ変わっていく。

Instagramって、そういう意味では面白いツールだなと思う。

写真があって、言葉があって、時間の記録が残る。

あとから見返すと、その時の自分がそこにいる。

そしてまた同じ写真を投稿すると、今の自分の言葉がそこに重なる。

記録でありながら、記憶を書き直していく場所。

それが、私にとってのInstagramの使い方なのかもしれない。


好きな写真を、また出してもいい。

好きな写真を、また出してもいい。

同じ写真でも、また書いていい。

そのときの自分の感情で、また言葉を書けばいい。

そうやって少しずつ、自分の記憶や意味を更新していく。

それが、私がやっている

「わたしが楽しいダイアリーレシピ」

なのだと思う。


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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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