
「みんなが持ってる」「みんなが観てる」「みんながいいって言ってる」
そういう言葉を聞いた瞬間に、なぜか興味が引いていくことが多い。
携帯電話が出始めた頃、周りはほとんどDOCOMOだった。だから私はJ-PHONEを選んだ。
特別な理由があったわけじゃない。ただ、みんなと同じじゃないほうが落ち着いた。それからもDOCOMOは使わず、今はau。
一度だけiPhoneを使ったこともあるけど、結局しっくりこなくて、ずっとAndroid。いまはGalaxyを使っている。
自分でも、なんでここまで頑ななんだろうとは思うけど、もう体がこっちに慣れている。
映画も同じ。タイタニックも、アバターも、流行っていたときに「絶対観たほうがいい」と言われすぎて、そのタイミングで観る気がなくなった。
嫌いなわけじゃないし、避けてるわけでもない。ただ、タイミングが来なかったまま、今に至っている。
服も似た感覚がある。流行ってる、今年はこれ、似合いそう。そう言われると、逆に着たくなくなる。
たぶん私は「似合う服」を探しているんじゃなくて、「着たい服」を着たいだけなんだと思う。
この色が着たい、この形が着たい。そう思ったら、どうやったら自分っぽくなるかを考える。
メイクを変えたり、髪をいじったり、帽子をかぶったり、スカーフを巻いたり。合わせにいく、その過程のほうが好きなのかもしれない。
パーソナルカラーや骨格診断の理屈はわかる。
でも、あまり興味はない。「あなたはイエベですね」と言われたら、たぶんブルベ寄りの色を選びたくなるし、ショート似合いそうと言われたら、もっと短くしたくなる。似合うって決められると、急に窮屈になる。
たぶん私は、評価がいらないんだと思う。
似合ってるかどうかを誰かに聞いたことはないし、着たいから着ているだけ。
違和感があれば、自分が一番先に気づく。なんか違うなと思ったら、勝手に着替えている。
だから、みんながどうとか、正解がどうとか、そのあたりはいつも少し遠くにある。
昔からずっと、こんな感じで選んできただけで、たぶんこれからも同じだと思う。
✧━━━━━━━━━━━━━✧
自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
✧━━━━━━━━━━━━━✧

No responses yet