前に出しているものは何か、という話
Threadsを見ていて、ある投稿が目に入りました。
低身長でもモデルをやりたい、もうそういう時代じゃないんじゃないか、という問いに対して、率直な意見を求めている内容でした。
コメント欄にはいろんな意見が並んでいて、低身長向けのブランドなら合うんじゃないかとか、一般的な服のモデルなら成立するんじゃないかとか、コレクションのような世界を目指すならまた別だよね、という話もあった。
その中で、ひとつのコメントに目が止まりました。
「もし自己主張や”自分を見てほしい”という感覚が強いなら、それはモデルというよりタレントとして表現した方が合っているんじゃないか」
これを見たときに、できる・できないの話じゃないんだな、と思ったんです。
前に出しているものが何なのか、という話。
服を見せるのか、自分を見せるのか。
そこがズレていたら、そもそも立っている場所が違ってくる。
モデルというプロフェッション
ステージって、たくさんの人が関わって成り立っている場所で、デザイナーがいて、その人が作ったものがあって、それをどう見せるかを任されている。
モデルは、それを着て歩くこと、その作品を見せることのプロ。
そこに自分の感情を乗せて前に出すものではない。
もし「私を見て」でやるなら、自分でステージを作ればいい。
自分が演出で、自分がステージングして、自分が主役で、自分が目立つものは、自分で作る。
そうじゃなくて、用意された場所に立つなら、そこで求められているものをやりたい。
求められていることをくみ取って、求められている形で出す。
それができる方が、自分にはしっくりくる。
くまこが前にあるのか、ライトアップが前にあるのか
ここから一気に自分に返ってきた。
今、表に出て動いているのは「くまこ」。InstagramもYouTubeも、くまこの名前でやっているし、それは流れとして自然なこと。
でも、ライトアップは違う。
「くまこがやっているライトアップ」ではなくて、ライトアップというものがあって、その中にくまこがいる、という感覚。
くまこがやっているアウトフィット、くまこがやっているスナップショット、くまこがやっているYouTube。それはそのままでいい。
でも、ライトアップは、そこに位置が違う。
同じ”立つ”でも、意味が違う
だから、同じ”立つ”でも意味が違う。
くまこが前にあるのか、ライトアップが前にあるのか。
今回のやりとりを見て、その位置が自分の中ではっきりした、という話。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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