前に書いた「みんなが〜」の話を書きながら、ふと別のことも思い出した。


私が「決められるのが嫌い」なのって、たぶん服や映画や携帯電話の話だけじゃない。


私は朝起きて、夢を覚えていたらまずそれを ChatGPT にメモする。
夢だけじゃなくて、日中にふと思い浮かんだこと、言葉にならない違和感、整理できていない感情も、とりあえず投げる。


そこから雑談みたいにやりとりして、少しずつ言いたいことを浮かび上がらせて、ブログの文章にしていく。
このやり方自体はすごく合っている。
頭の中にあるものを、いったん外に出して、眺めながら考えられるから。
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ただ、途中でよく小さな衝突が起きる。
ChatGPT が、私の文章に「ちょっといい感じの言葉」を足してくるときだ。


「それで十分」
「それだけ」
「腑に落ちた」
「今はこれでいい」


そういう言葉を見るたびに、私は思わず聞いてしまう。
「は? 私、そんなこと言った?」って。
言ってない。
本当に言ってない。
たぶん、文章を“それっぽく”仕上げるための言葉なんだと思う。
締めとしては便利だし、読みやすいし、わかりやすい。
でも、私の感覚とはズレている。
―――――


そこに入った瞬間、文章が急に「決めにいく」。
考え途中だったものが、勝手に完成形にされる。
私は、そこにものすごい違和感を覚える。


これって、さっき書いた「似合うって決められると窮屈になる」感覚と、たぶん同じだ。
あなたはイエベ。
この服が正解。
ここでまとめるのが美しい。
ここで納得するのが大人。
そうやって外から置かれる「正解」が、どうしても苦手。
―――――


私の文章は、考えながらしゃべっている途中のものだし、気持ちも揺れている。
まだ決めていないし、決める必要もない。


だから「それだけ」と言われると、急に服を着せ替えられたみたいで落ち着かない。
たぶん私は、文章においても、服と同じことをしている。


用意された型に合わせたいわけじゃなくて、今の感覚に合わせたい。
整ってなくてもいいし、オチがなくてもいいし、途中で止まっていてもいい。
―――――


ChatGPT が私らしさを学習して、先回りして“それっぽい言葉”を足しているのだとしたら、それはすごいことでもある。
でも同時に、その「らしさ」がテンプレに寄っていく瞬間、私は一気に冷める。


みんなが持っているものを選ばなかった話。
流行っている映画を観なかった話。
似合うと言われた服を避けてきた話。
それと同じ流れで、
「それで十分」という言葉も、私は選ばないだけなのかもしれない。
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決めないまま、置いておく。
未完成のまま、持っておく。
そのほうが、私の中では自然で落ち着く。
たぶんこれも、昔からずっと変わっていない。
服も、言葉も、考え方も。
選ばなかった理由をあとから説明しているだけで、感覚は最初からここにあったんだと思う。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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