私はカフェが好きです。
スタバも好きだし、雰囲気のいいカフェも好きです。コーヒーだけではなく、フードも好きだし、店員さんの接客や、その場所に行くこと自体も好きです。
そして昔から少し憧れているのが、一人でカフェに行って、コーヒーを飲みながら本を読んだり、スマホを見たり、ちょっと仕事をしたりしながら、ゆっくり過ごすこと。
私も何度もやっています。Instagramのストーリーに「スタバで作業」と載せたこともあります。
でも、実際の私は全然くつろいでいません。
コーヒーはわりとすぐ飲み終わるし、作業をしても少しやったところで落ち着かなくなる。スマホを見ながらゆっくりしようとしても、なぜか長くいられない。結局、家でやった方が落ち着くなと思って帰ります。
53歳になった今でも、私が思い描いているような「カフェでゆったり過ごす人」にはなれていません。
私は本当にカフェが好きなのか
そこで、そもそも私は本当にカフェが好きなのかなと考え始めました。
カフェそのものが好きなのか。カフェに行っている自分が好きなのか。でも、それでもいいと思っています。
たとえばスタバの話。
「スタバは高い。コンビニのコーヒーなら安くて十分おいしい」
そう言われれば、それはわかります。私だってコンビニのコーヒーがおいしいことは知っています。
でも私がスタバで買っているものは、コーヒーだけではありません。店の雰囲気、接客、フード、そこへ立ち寄ること、その時間まで含めてお金を払っている感覚があります。
だから、値段と量だけで「コンビニの方がコスパがいい」と考える人とは、少し価値観が違うのだと思います。
ホテルは「寝る場所」だけではない
これって、ホテルを選ぶ時にも似ています。
東京へ行く時、私は赤坂見附界隈に泊まるのが好きです。そこに絶対見たい観光地があるわけではありません。自分の中で思い出のある街でもあるし、あの辺に滞在すること自体が好きです。
寝る場所だけで考えれば、行動範囲に近い安いホテルやカプセルホテルでもいいのかもしれません。
でも私は、旅行先のホテルで過ごす時間も好きです。コンビニで食べるものを買って、部屋に戻って、Netflixを見たり、家にいる時と同じようなことをして過ごす。せっかく旅行に来たのだから朝から晩まで観光しなければ、とはあまり思いません。途中でホテルへ戻って休む時間も、私にとっては旅行の一部です。
仲のいい友達と旅行する時もそうです。富山へ行った時には、ツインではなく、それぞれ一人ずつ部屋を取りました。一緒にお寿司を食べたり飲んだりしたあと、次に出かけるまで時間が空けば、一度それぞれの部屋へ戻る。友達は寝る。私はベッドに横になる。
別の旅行でも、人混みの中を歩いて疲れてくると、自然に「ちょっとお茶しようか」となる。たぶん私たちは、遊び方だけではなく、休むタイミングも似ているのだと思います。
私にとって「休む」は、座ることではなかった
そして、ここまで考えていて気づきました。
私にとって「休む」は、椅子に座ることではなかったのです。
私は横になりたい。眠らなくてもいい。ただ身体を横にしたい。
旅行でも、ずっと横になれない状態が続くと、だんだん目が引っ込んでくるような感覚になって、プールに入ったあとのようなだるさが出てきます。椅子に座って休憩しても、完全には回復しない。
だからカフェでいくら座っていても、私にとってはそこまで「休憩」になっていなかったのだと思います。
靴を履いている。知らない人がいる。店員さんがいる。人が入ったり出たりする。音もあるし、光もある。もちろん立っているよりは楽です。でも、私にとって「くつろぐ」という状態とは少し違っていた。
だから、自分へのご褒美にカフェへ行って、たっぷり時間を使って優雅に過ごそうとしても、たぶん私は疲れて帰ってくる。
暗い部屋が好きなのにも、理由があったのかもしれない
そう思ったら、今までバラバラだと思っていたことが次々につながりました。
私は昔から強い日差しが苦手です。白くて明るい蛍光灯も苦手です。運転する時には季節に関係なくサングラスを使うことがあります。ショッピングモールの中でも、薄い色のサングラスをかけている方が疲れにくい。
自分の部屋でも、夜はメインの白い照明をほとんどつけません。豆電球やテーブルライト、間接照明だけで過ごすことが多いです。
今までは単純に「私は間接照明が好きなんだ」と思っていました。インテリアとして暗めの部屋が好きなのだと思っていた。でも、暗い方が身体が楽だったのだと思います。
一階では家族が明るい白い蛍光灯を好みます。私は昔から一階に長くいるのがあまり好きではなくて、中学生くらいの頃から、自分だけ二階の部屋へ戻ることが多かった。
一人が好きだからだと思っていたけれど、それだけではなかったのかもしれません。光も、人の気配も、外から入ってくるいろいろな刺激も、私は思っていた以上に消耗するのかもしれない。
だから自分の部屋が好きで、特にベッドの上が好きなのだと思います。以前ブログにも「私のパワースポットは自分の部屋」と書いたことがあります。
神社にふらっと行く理由も、つながった
そういえば私は、神社やお寺にもよくふらっと行きます。でも「パワースポットだから行こう」という感覚ではありません。
兄を送ったついでだったり、買い物のついでだったり、近くに神社があるからちょっと寄ろうかな、そのくらいです。ご利益を求めてこの日に行こう、この神様にお願いしよう、という感じでもありません。
でも神社やお寺は、静かで、緑があって、人の少ない場所が多い。
私は「パワースポットだから」選んでいたのではなく、自分が楽でいられる場所を、自然に選んでいたのかもしれません。
仕事の仕方まで、同じところにつながっていた
そして、そこから仕事のことまでつながりました。
私は今、本を書いたり、ブログを書いたり、サイトを作ったり、アプリを考えたりしています。最近はかなりスマホ中心です。ベッドに横になったまま音声入力で文章を作ることもできます。
でも最初から「私は横にならないと疲れるから、この働き方にしよう」と考えて作ったわけではありません。結果として、そういう形になっていました。
私は普通に外へ出て、決まった時間にそこにいて、長い時間働き続けるという形だと、かなり消耗します。できないわけではありません。むしろ仕事だからやってしまう。やれてしまうところまでやって、そのあとにドカンと体調を崩す。そういうことを何度も経験してきました。
今月は体調も悪く、気分もかなり落ちていました。こういう時は、今やっていることが全部不安になります。
こんなことをしていて意味があるのだろうか。全部やめた方がいいのではないか。Instagramも消してしまおうか。そんなことまで考えます。
まだ本も途中です。9 SENSE CORDもこれから。アプリもこれから。お金になるかどうかもわかりません。うまくいくかどうかも、もちろんわかりません。
でも今日、ただ「私はなぜカフェでくつろげないのだろう」と考えていただけなのに、自分の休み方から、光の好み、旅行の仕方、好きな場所、そして働き方までつながりました。
私は知らないうちに、自分が少しでも楽でいられる方へ動いていたのかもしれません。
暗い部屋を選ぶ。サングラスをかける。疲れたらホテルへ戻る。靴を脱げる部屋を選ぶ。横になる。横になったまま仕事ができる形を作る。静かな神社へふらっと行く。
その時は理由なんて知りませんでした。こういう身体だから、こうしようと考えたわけでもありません。
頭ではわかっていなかった。でも身体は知っていた。感覚は知っていた。
「わかった」ことが、少し安心になった
今回、自分の症状について調べている中で、これまでパニック障害として見ていたものとは別の身体的な見方と重なる部分もあることを知りました。
だからといって、今までの診断が間違っていたと言いたいわけではありません。新しい病名を自分につけたいわけでもありません。
ただ、それまでバラバラに見えていたものが少しつながった。「ああ、私はこうだったのかもしれない」。そう思えたことが、私には大きかった。
原因がわかったから全部排除しよう、これでもう症状を起こさないようにしよう、ということではありません。ただ、自分の中で起きていたことに自分で気づく。それだけで、少し安心することがあります。
以前、ストレスについて書いた時にも似たことを感じました。原因を見つけて完全になくすためではなく、「私はこれをストレスとして感じていたんだ」と自分で気づくこと。今回も同じでした。
これも「自己確知」だった
そしてここまで来て、これは私が書いてきた「自己確知」そのものだと思いました。
新しい自分になることではなく、すでにしていたこと、すでに選んでいたこと、すでに感じていたことに、あとから自分が気づく。
「ああ、私はちゃんと自分に合う方を選んでいたんだ」と知ること。
感覚って、すごいと思います。頭が理由を知らなくても、身体は先に動いていた。
私はカフェでは優雅にならない人だった
そして最初のカフェの話に戻ります。
私はずっと「カフェで優雅に過ごせない人」だと思っていました。
でも、少し違ったみたいです。
私はカフェで優雅になれないのではなく、カフェでは優雅にならない人だった。
カフェは好きです。スタバにもこれから行くと思います。コーヒーを飲んで、少し作業をして、たぶんまた家に帰ります。
私にとって、本当にゆっくりできる場所はそこではなかった。
靴を脱いで、少し暗い部屋で、横になって、人の出入りを気にせず、好きなことをしている時間。たぶん、そちらが私にとっての「優雅」だったのだと思います。
人が言う「くつろげる場所」と、自分が本当にくつろげる場所は同じとは限らない。人が言う「ご褒美」と、自分の身体が求めているものも同じとは限らない。
頭より先に、自分の感覚はずっと知っていたのかもしれません。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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