最近、【晒されてる人を見に行っちゃう病】にかかってます(笑)
「こんなコメントが来ました」「こんなDMが来ました」みたいな投稿を見ると、その相手がどんな人なのか気になって、つい見に行ってしまう。アカウントがそのまま出ていれば早いけど、分からない時は投稿の内容や画像の断片から探す。「この人かな」「いや違うか」「これか?」みたいに手がかりを辿って、見つけると「あ、この人か」となる。ちょっとした推理ゲームみたいです。
でも同時に、「私、何してるんだろ(笑)」「ほんと悪趣味だなー」って、一歩引いて見てる自分もいる。しかも、見つけたあと別に楽しくなるわけじゃない。
見つけたあと、ちょっと落ち込む
Threadsでは情報が少なくても、Instagramのリンクがあったり、仕事のリンクがあったりする。そこから見ていくと、普通に家族と出かけていたり、子どもとの写真があったり、仕事をしていたり、顔も出していたりする。
そこで私はちょっと落ち込む。こんなに普通に生活している人が、ああいう強い言葉を書くんだ。自分の頭の中では、その二つがなかなかつながらない。
そこを見ると、人間って不思議だなと思うし、私はちょっと怖くなる。
私だって、人の投稿を見て「え?」「その言い方する?」と思うことはあります。でも、その時点でだいたい終わる。最近は特に、そこから自分がわざわざコメントを書くところまで行かない。いろんな投稿や炎上、その後の広がり方を見てきたせいか、先にリスクの方が浮かぶようになった。
だから逆に、なぜそこまでして書くのかが不思議なんです。
そこ、わざわざ書くんだ
たとえば、ドラマの中で「新潟市東西区で〜」みたいな台詞があったとする。現実の新潟市には東区、西区、南区、北区はあっても「東西区」はない。
そこに「新潟市に東西区なんてありませんよ」と、わざわざコメントする感じ。でもドラマなんだから、架空でいいじゃんと思う。
それを言い始めたら、主人公の名前が「東西 南北子」だった時に「そんな名前の人、現実にいませんよ」って言うのと、私の中ではあまり変わらない。
私はそういうコメントを見ると、「そこ、わざわざ書くんだ」と思う。で、こういうのが気になって、ちょっと心理学的に調べてみた。
ネットだと、言葉の出方が変わる?
心理学には「オンライン脱抑制効果」という考え方があります。心理学者John Sulerが2004年に整理したもので、匿名性や相手の姿が見えないこと、時間差のあるやり取りなど、オンライン特有の条件によって、対面では抑えられるような言葉や行動が出やすくなることがあるというものです。
でも、今回私が見ている人たちは匿名とは限らない。顔も出している。家族との写真もある。仕事も分かる。それでも書く人がいる。
オンライン脱抑制効果は「ネットでは本性が出る」という単純な話ではなくて、オンラインという環境が、普段とは違う言葉の出方を起こすことがある、くらいに考えた方が近そうです。
参考:John Suler, “The Online Disinhibition Effect”, CyberPsychology & Behavior, 2004
PubMedで研究を見る
じゃあ、探しに行っちゃう私は何なんだろう
書く側の心理を調べていたら、今度は自分の方が気になってきた。なぜ私は、わざわざ晒されてる人を探しに行くんだろう。
人は嫌な情報を全部避けるわけではなく、ネガティブな情報でも自分から見に行くことがあるそうです。心理学では「モービッド・キュリオシティ」と呼ばれる研究領域があって、2017年の実験では、人が死や暴力、危害などを含むネガティブな情報を自分から選んで見る行動が確認されています。
参考:Suzanne Oosterwijk, “Choosing the negative: A behavioral demonstration of morbid curiosity”, 2017
研究全文を見る
もう一つ、自分の行動にものすごく近いと思ったのが「情報の穴」。誰なのか分からない。何があったのか全部は分からない。情報が少し欠けている。そうすると、その穴を埋めたくなる。
「この人かな」「ここにつながるのかな」「見つけた」ってなる。
ああ、やっぱり推理ゲームっぽい。悪口そのものを見たいというより、「この人は誰なんだろう」「どういう人なんだろう」を確かめたくて探している部分があるのかもしれない。
でも面白いのは、そのあとです。見つけた瞬間は「分かった」という達成感がある。なのに、見たあと気分が良くなるわけじゃない。むしろ「こんなに普通に暮らしている人が、あの言葉を書いたんだ」って落ち込む。
これが自分でもすごく不思議です。
同じ方向のコメントが増えていくのも気になる
もう一つ気になるのが、投稿として表に出たあとの空気。最初は一人と一人のやり取りだったものに、第三者の反応が重なっていく。
「ひどい」「ありえない」「わかる」「こういう人いるよね」みたいに、同じ方向の言葉が増えていくと、最初は一つのコメントだったものが、だんだん大きな空気になっていく。
これも、なんでこうなるんだろうと思って調べてみた。
2021年に発表された研究では、Twitterの7,331人、約1,270万件の投稿を使った観察研究と実験から、怒りを表した投稿に肯定的な反応が多く返ると、その後も怒りを表す可能性が高くなる傾向が確認されています。さらに、自分がいるネットワークでどんな表現が多いかによって、周囲の表現に合わせる動きも確認されています。
これを知ったら、「なんで同じ方向のコメントがどんどん増えるんだろう」が少しだけ分かった気がした。
参考:William J. Bradyほか, “How social learning amplifies moral outrage expression in online social networks”, 2021
研究全文を見る
晒す人。晒されるようなコメントを書く人。そこに反応する人。何も書かずに見ている人。そして、なぜか探偵を始める私。
SNSって、当事者だけじゃなくて、その周りにもいろんな立場を作るんだなと思う。
そして私は、コメントを書くのが怖くなってきた
こういうものを見てきたせいか、最近は他の人の投稿に意見系のコメントを書くのがかなり怖くなってきました。リアルの友達へのコメントは別として、書いてやっぱり消す。投稿したあとに削除することもある。
だから最近は、素敵な写真やファッションに❤️❤️❤️とか🔥とか👍。これくらいが増えた。
意見がないわけじゃない。むしろ思うことはいろいろある。でも最近は文章を書くと、「これ、一部分だけ切り取られたらどう見える?」まで考えるようになった。
自分で投稿する時も同じです。何度か動画がバズったことがあります。露出が増えると、やっぱり「わざわざそれ書かなくても」っていうコメントも来る。
これは、自分でもちょっと皮肉だなと思う。
なのに、晒されてる人は見に行っちゃう(笑)
コメント界隈には入らない。でも探偵はする。探しながら「私ほんと悪趣味だなー」って、自分を見てる自分もいる。
見つけた時にはちょっと達成感がある。そして、そのあとちょっと人間が怖くなる。
なんだこの病(笑)
これもSNS時代の現代病の一種なのかもしれません。病は深い(笑)
✧━━━━━━━━━━━━━✧
自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
✧━━━━━━━━━━━━━✧

