肩書は自分を説明するものなのか、それとも自分を制限するものなのか
「何してるんですか?」
SNSを見ている人からしたら、きっと自然な疑問だと思う。写真を撮っていたり、音楽を作っていたり、アートを作っていたり、文章を書いていたり。この人は普段、何をしている人なんだろう?と思われても不思議じゃない。
ちなみに私の答えは、「明るい無職です(笑)」だったりする。
もちろん、これは何もしていないという意味じゃない。ただ、一般的に言われる「仕事」や「職業」という枠には、今の自分の活動がうまく当てはまらないだけ。
私は何者なのか
クリエイター?アーティスト?音楽を作っているからミュージシャン?昔は、パフォーマンスをしていた時に「役者」「ダンサー」「ボーカル」と書いていたこともある。
でも、今はどれもしっくりこない。
嫌だからじゃない。ただ、その言葉を名乗った瞬間に、自分の自由が少しなくなるような感覚があるから。
「私はアーティストです」と言ったら、アーティストとして活動し続けることを期待される。「私はミュージシャンです」と言ったら、音楽を中心に活動する人になる。
でも私の場合、最初にあるのは肩書じゃなくて、「やりたい」という感覚。何かを目指しているから作っているわけじゃなくて、何かを感じたから形にしている。
肩書って職業なのか、それとも自分を表す言葉なのか
そもそも肩書って何なんだろう。職業なのか。仕事なのか。それとも、自分自身を説明するための言葉なのか。
今の時代、SNSではプロフィールに肩書を書くことが当たり前になった。何をしている人なのか、どんな活動をしている人なのか。自分を伝えるための大切な要素になっている。
特にInstagramは、日常を共有する場所から、自分の活動やビジネスにつなげる場所になった部分もあると思う。プロフィールには肩書があり、投稿にはサービスや商品の案内があり、そこから仕事へつながっていく。そういう使い方が増えた。
でも、私は少し違う場所から発信している気がする。
SNSはいつから「何者かを証明する場所」になったのだろう
昔のSNSを思い出す。ミクシィの頃は、本名も顔も知らない人と交流することが普通だった。好きな音楽、好きなこと、日々感じたこと。そこから人とつながっていた。
その後、Facebookのように実名での利用が広がった。本名を出すことで安心感が生まれたり、トラブルの抑止になったり、良い面もあった。でも同時に、ネットの中の自分と現実の自分が近づいていった。
そして今は、「私は何者なのか」を最初に示すことが求められる時代になったように感じる。
じゃあ、今の私を一言で答えるなら
「Light Upです」
たぶん、そう答える。
「争いのない世界へ」なんて言うと、少し大きすぎるように聞こえるから、思わず(笑)をつけたくなる。でも、笑い話じゃない。本気でそう思っている。
Light Upは、職業名じゃない。音楽でも、写真でも、イラストでも、文字アートでも、ブログでも。私にとっては全部、表現方法。そして、その根底にあるのは言葉なんだと思う。
伝えたい感覚があって、その時必要な形を選んでいるだけ。だから、私は「何かになるため」に作っているわけじゃない。何かを感じたから、形にしている。
肩書より先にあるもの
肩書が必要な場面もある。人に伝える時や、仕事として活動する時、分かりやすい名前が役に立つこともある。
でも、肩書を先に決めると、自分の表現がその枠に合わせられてしまうことがある。
私は、何者かになりたいわけじゃない。ただ、自分の中から出てきたものを、その時選んだ方法で表現している。
だから今は、肩書を探すよりも、自分が何を届けたいのかを大切にしたい。
肩書は自分を説明するものなのか。それとも、自分を制限するものなのか。
まだ答えを決める必要はないと思っています。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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