「全部できる」って、少し寂しいと思った日
今日、ふとこんなことを思った。
「全部できるって、少し寂しいな。」
若い頃は、家のことで困れば父がいた。壊れた、これどうしたらいい?そう言えば、父が直してくれたり調べてくれたり。分からないことは母に聞けばよかった。
結婚していた頃は、それが夫に変わった。私は車の運転が苦手で、方向音痴。運転下手だからと言われながらも、乗せてもらうことが当たり前だった。それで困ることもなかった。
でも離婚して、一人になった。
子どものこともある。父のこともある。自分だけなら「やらない」という選択もできる。でも家族がいるとそうはいかない。
苦手な道でも運転する。家の不具合も調べる。電化製品が壊れたら問い合わせる。契約や手続きも、自分で確認する。
生活していくために、一つずつ覚えてきた。気づけば、昔できなかったことが、今は普通にできている。
できるようになった、でも
一人で車に乗って、どこへでも行けるようになった。それは本当に嬉しかった。自分の行動範囲が広がった感覚もあった。
だから、「できるようになった」ことを後悔しているわけじゃない。むしろ良かったと思っている。
でも今日、ふと思ったんだ。
全部できる。できちゃう。
それって少し寂しいなって。
「できる」と「しなきゃいけない」
考えてみると、私が感じていたのは「できる」ことじゃなかった。
「できる」と「しなきゃいけない」。この二つが、いつの間にか重なってしまう瞬間。本当は違うことなのに。
できるから、自分がやる。できるから、頼まれる。できるから、全部やる。
そんな感覚になる日がある。
もちろん、それが嫌という話でもない。昨日は「一人でどこでも行けるって最高!」と思っていたかもしれない。今日は「全部できちゃうって少し寂しいな」と思った。そんな日もある。
人の気持ちは、その日によって揺れるものだ。
※追記
書き終えたあと、もう一つ気づいたことがあります。
私は「全部できること」が寂しかったわけではありません。
一人で運転できるようになったことも、家のことを調べて解決できるようになったことも、自分では嬉しいことでした。
でも、生活の中で必要だから覚え、必要だから対応し、その積み重ねで、気づけば何でもこなせるようになっていました。
「こなす」という言葉は、私にとって少し乾いた響きがあります。
楽しむでもなく、誰かに頼るでもなく、生活を淡々と回していくような感覚。
その姿をふと客観的に見たとき、
「あぁ、私は何でもこなしてしまう人になったんだな。」
そう思った瞬間に、少しだけ寂しさを感じたんです。
だから今回書きたかったのは、一人でいることの寂しさではありません。
「こなしてしまう自分」に気づいた、その日の小さな感情の話です。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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