家族を嫌いになることより、そんなことを思う自分が嫌になる
人に嫌われることより、自分が自分を嫌いになることの方が、私はずっと怖い。嫌われる人には嫌われても仕方がないと思えるようになったし、いい人に見られたいとも、今はそんなに思っていない。
でも、自分の中にものすごく強い怒りや憎しみがあることに気づいた時、「私はこんな人間だったんだ」と思ってしまう。その瞬間が、本当に苦しい。自分が自分を嫌いになってしまいそうになる。それが悲しくて、わけもなく涙が出ることもある。
今日、病院に行ってきました
ここ2週間くらい胃が痛くて、ここ数日は頭痛もかなりひどかった。今朝は吐いてしまって、ちょうど三連休前だったこともあって、さすがに一度ちゃんと診てもらおうと思いました。
以前の私なら、もう少し我慢していたかもしれません。母ががんで亡くなっていることもあるし、最近は身近な人の病気の経験を聞いたり、健康診断を受けることの大切さを伝える活動を身近で見たり、応援したりすることも増えました。
検査を受けることは大事なんだな、と以前より強く思うようになっていたこともあって、今回は病院へ行きました。内視鏡の予約もして、市の健診も予約しました。何もなければ、それでいい。ちゃんと調べてもらおうと思えたことは、今回よかったことの一つでした。
でも、病院へ行っても、結局ずっと頭にあったのはストレスのことでした。
「これも結局ストレスなんだろうか」
私はこれまで何度も、原因のはっきりしない身体の不調を経験してきました。検査をしても大きな原因が見つからない。そして最後に、「ストレスかもしれませんね」と言われる。
でも、私がいつも知りたかったのはその先でした。そのストレスって、何なんだろう。
今の私にとってのストレス
今の私に「何が一番ストレス?」と聞いたら、かなりはっきりしています。家族です。
私は父と兄と暮らしています。毎日ご飯を作って、病院の予約をしたり、市役所に行ったり、必要なら一緒に病院へ行ったりします。
自分の予定を入れる時も、まず家族の予定を見ます。ランチに行くにも、友達と会うにも、旅行に行くにも、この日に病院はなかったかな、ご飯はどうしよう、家の予定は大丈夫かな。そんなことを考えてから、自分の予定を入れます。
24時間ずっとつきっきりなわけではありません。自分の時間もあります。でも、その時間が完全に自分だけのものかと言われると、少し違う。
そこに頼み事も入ってきます。「時間がある時でいいから」と言われるから、じゃあ明日でもいいかな、2、3日後でもいいかなと思う。でも、結局その日のうちにやらないと不満を言われることがある。
何かを買ってきてほしいと言われて、もう同じ商品が売っていないから、今あるものを買ってくる。すると、「これじゃない」と言われる。
車を今日はこっちに止めてほしいと言われて、「わかった」と答える。それで終わればいいのに、バックで入れて、前輪はここに乗せて、とそこまで細かく言われる。53歳にもなって、そんなことまで指示されるのかと思う。
具合が悪くて寝ていると言っているのに、内線電話が何度も鳴る。今じゃなくてもいいことを聞かれる。この一週間は、特にそれが多かった。
具合が悪くても、ご飯を作る人は私
そして今回、一番不満が爆発したのは食事のことでした。
私は具合が悪くて、自分は夕飯を食べられない。それでも夕飯を作っている。
でも誰も、「大丈夫?」「今日は作らなくていいよ」「何か買ってくるよ」「寝てていいよ」とは言わない。
コンビニにもスーパーにも、お弁当もお惣菜も売っています。私が作らなくても、食べる方法はいくらでもある。
なのに返ってくるのは、「夕飯はどうするの?」「明日の朝は?」「おにぎりはどうするの?」そんな話です。
そのたびに思います。私の体調じゃなくて、自分たちのご飯がどうなるのかが一番大事なんだな、と。
だから私は、具合が悪いことをあまり言わなくなりました。言ったところで、私のやることが減るわけでもない。心配されるより先に、家のことを聞かれる。それなら言わなくても同じだと思うようになりました。
家族を嫌いになることより、そんなことを思う自分が嫌になる
そして、ある時、本当に嫌になります。むちゃくちゃ嫌いになります。クソほど嫌いになります。顔も見たくない。もう知らない。勝手にして。そんなところまで思います。
家族を嫌いになることよりも、そんなことを思う自分が嫌になる。
「私はこんな人間なんだ」
そう思った時に、ものすごく悲しくなります。こんなにも誰かを嫌える自分がいる。家族に対して、ここまで強い感情を持つ自分がいる。その自分を少し離れたところから見た時に、いたたまれなくなる。
誰かに何かを言われて落ち込むのとは、少し違います。相手から離れても、自分からは離れられない。自分自身を嫌いになってしまうことが、一番苦しい。
「自分の人生を生きればいい」が答えにならない時
こういうことを人に相談すると、「自分の人生なんだから、好きに生きればいいよ」と言われることがあります。
家族と距離を取ればいい。制度を使えばいい。自分を優先すればいい。言っていることはわかります。たぶん、どれも正論です。
でも、それが簡単にできないから、今の自分がいます。
私はその時その時で、ここにいる理由を見つけながら暮らしています。家族だから。高齢だから。障害があるから。私がやった方が早いから。今はまだここにいた方がいいと思うから。
そうやって、その時の自分が納得できる理由をつけながら、今の生活を保っています。
最近は、こういう人生の悩みを人にあまり相談しなくなりました。自分にとって本当に納得できる答えは、たぶん人からはもらえないと思うようになったからです。
元気な時なら、友達に笑い話として話します。「こんなことあってさ」「またこんなこと言われてさ」と話して、友達も笑ってくれて、私も笑う。それが一番すっきりする時もあります。
同じ出来事でも、笑いにできる日もある。でも、笑えない日もある。今はたぶん、そっちです。
笑いにできなくて、身体までしんどくなって、胃が痛くなって、頭が痛くなって、気持ちまで落ちている。そして病院へ行って、「ストレスなのかな」とまた考える。
ストレスの原因は、変わってもいい
結局、私はずっとこの問いに戻ってきます。
ストレスの原因って、何なんだろう。
昔、うつになった時、私は仕事が原因だと思っていました。だから仕事を辞めました。
仕事を辞めたんだから、これから少しずつ良くなっていくだろう。そう思えたこと自体が、あの時の私には必要だったんだと思います。
仕事が原因だと思えたから、仕事を辞めるという行動ができた。「これで少し楽になれるかもしれない」そう思えたことが、その時の自分を少し助けていた。
その後、入院していろいろ話をしているうちに、もしかしたら仕事より、家なのかもしれないと思うようになりました。
そして十何年経った今、あの頃を振り返ると、やっぱり私にとって大きかったのは、この家庭環境だったのかもしれないと思っています。
でも、また10年後の私は違うことを思っているかもしれない。
以前は、原因を知りたいと思っていました。これが原因です、と答えが欲しかった。
でも最近は、ストレスの要因って、その時の自分によって変わって見えるものなのかもしれないと思うようになりました。
あの時は仕事だと思った。今は家族との関係だと思っている。未来の私は、また違うことを思うかもしれない。
それでいい。
その時の自分が、「今の私には、これがつらい」とわかること。その時の自分が少し納得できるところに、原因を置いてみること。
それで少しでも気持ちが緩むなら、それも自分を助ける一つの方法なんじゃないかと思っています。
今の私は、「あいつらのせいだ」と思うことで、少し救われています。本当にそうなのかはわからない。でも今は、それでいい。今の私にとっては、そこに置いておく方が少しだけ楽だから。
なのに、その家族をクソほど嫌いになった自分を見て、今度はまた自分を嫌いになってしまう。そこが、本当に苦しい。
許してほしかったのは、私自身だった
たぶん私が一番許してほしかったのは、家族からでも、誰かからでもなかったんだと思います。
家族を死ぬほど嫌いになる私を、私が許してほしかった。
家族を大切にしてきた私もいる。ご飯を作ってきた私もいる。病院に付き添ってきた私もいる。笑い話にしてきた私もいる。泣いている私もいる。もう知らないと思う私もいる。クソほど嫌いになる私もいる。
全部、私です。
だから今日は、たまに家族を死ぬほど嫌いになる私を、私が許してあげようと思います。
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自分にコードをつなげよう
My rhythm, my light
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